呉市・清水ヶ丘高校で講演する太田英昭JAPAN Forward代表理事=2025年10月14日(©JAPAN Forward)
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≪JAPAN Forwardの太田英昭代表理事(産経新聞顧問)は2025年10月14日、広島県呉市にある清水ヶ丘高校で、同校と姉妹校・呉青山中高の生徒計600人を前に「日本と日本人について」と題した講演を行った。講演は、清水ヶ丘高校看護学科の1年生が看護実習をスタートするにあたり、ナースキャップを頭にいただく戴帽式の後に行われた。当日は時間の制約で準備した内容を短縮して講演を実施したため、ここに準備した講演内容のほぼ全文を掲載する。掲載にあたり、なお、JAPAN Forwardは学校側の了解を得ている。≫
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■明治の日本人
外国から幕末、明治にかけて、日本にやってきた外国人がたくさんいます。貿易商人から軍人、外交官、通訳など、その人たちがたくさん日記や報告を残しています。全体として言えることは、日本は治安が良く、人々がなかなかに明るく暮らしているということです。
幕末に日本に来たイギリス人のエピソードがあります。ある時、宿の主人に、大事なものなのでしまっておいてくださいと、出張があって託しました。その時、主人は部屋の戸棚に鍵もかけずにしまった。
イギリス人はそれを見て、鍵もかけずに大丈夫かなととても心配でした。 不安に思ったまま、2週間後仕事から戻りました。
主人は戸棚から出して、その大事なものをイギリス人に返してくれました。もちろん何一つなくなっていません。イギリス人は自分の国ではありえないと、とても驚いたようです。
今でもインバウンドで日本にやってきた観光客が、失くしたものが出てきたりして、よく驚くというエピソードが紹介されたりしますが、日本人にとっては当たり前のことなんです。私が愛読している、『日本人の誇り』という本から引用します。当時通訳として活躍したオランダ人、ヒュースケンという人が、日本と日本人について残している印象です。
「この国の人々は、この国の人々の質朴な習俗と共に、その飾り気の無さを私は賛美する。この国土の豊かさを見て、至る所に満ちている子供たちの楽しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった私は、おお神よ!この幸福な情景が今や終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように見えてならない。」と書き残しています。著者の藤原正彦さんは、「多くの欧米人が色々な観察をしていますが、ほぼ全てに共通しているのは、人々は貧しい、しかし幸せそうだ」と書いています。
もちろん、たくあんやぬか漬けの強烈な匂いとか、音を立てて食べることがとても下品に見え、無作法という印象を持った人もいるようです。しかし、その時代が貧しく不幸せな時代だったというのは、一面的な見方とも言えるのではないでしょうか。「貧しいけれど笑顔のある人々」が、たくさんいたのです。
■植民地にならなかったわけ
江戸から明治時代に入りましょう。幕末にペリーの黒船艦隊が日本にやってきます。
でも、ペリーが来る前からロシアやイギリスが日本の近海に軍艦で訪れ、日本への侵略、日本の利権を獲得するために、様々に接触を求めてきました。これはまだ日本がちょんまげの時代ですね。その同じ頃、世界はどういう時代だったのでしょうか。
帝国主義、植民主主義の時代でした。イギリスを中心に、蒸気機関の発明による産業革命によって、豊かな経済力、そして強い軍事力を持ったイギリスを中心に、世界の分取り合戦が行われていました。力による支配です。
イギリスはインド、ビルマ、今のミャンマーですね、マレー半島、中国を半ば植民地化して、さらにカナダ、オーストラリア、エジプトまで支配していました。イギリスが最高に強かった時代です。フランスはアフリカを中心に、アメリカはフィリピン、中南米、ハワイを支配し、オランダはインドネシアを植民地にしていました。
日本は幕府も有力な大名も、鎖国の制約があったにせよ、ある程度は世界情勢を把握しており、日本も外国に征服され、植民地化されるのではないかという恐怖にさらされていました。しかし絶対にそうはさせないという勇気と気概を持っていました。幕末の混乱があって明治維新が行われ、日本と日本人は強い国を目指しました。
その過程で、西郷隆盛や坂本龍馬、高杉晋作など、皆さんも名前を聞いたことがあると思いますが、日本を独立した国家として成長させようという強い意志のもとに、必死に生きて死んでいった人が数え切れないほどいました。外国の侵略を絶対に許さないという強い意志です。アジアの大半がヨーロッパやアメリカの植民地になったのに、日本はそうならなかった。

なぜでしょう。一つは、徳川時代260年の財産があったからです。鎖国の中での自給自足、しかしながら安定した繁栄を続け、独自の文化を持ち、農業国家でしたが、多くの人は満足して暮らしていた。
産業革命を経て、工業国家にはならなかったが、識字率も高く、他のアジアの国とは違う条件を持っていた。そして明治地維新を経て、一気に西洋の情報が入ってきて、日本人の多くが何としても西洋に追いつき、追い越そうとした。国として掲げた目標は「富国強兵」、国を豊かにして軍事力を強くするということでした。そのため、国が取った戦略はいくつもありますが、その一つは、皆さんも聞いたことのある「お雇い外国人」ですね。
医学、法律、土木、工学、教育。日本が西洋に比べて遅れていたこうしたジャンルを、何としても学ぼうと本気で頑張ったんですね。
そうした専門家、今でいう高度人材を、外国から日本に来てもらうために、とんでもない高い報酬を支払いました。日本はまだまだ貧しい国なのに、総理大臣の2倍3倍という報酬を払ったというケースもあるようです。死に物狂いで、西洋から高い学識、そうした知恵を持った人材を、日本に呼んで学ぼうとしたんですね。
一方、日本は、日本人の優れた若い人材を、積極的に海外留学させました。貧しかった日本ですが、ヨーロッパを中心に、たくさんの若者を西洋に学びに行かせたのです。初代の総理大臣、伊藤博文もそうです。
一万円札になった渋沢栄一もそうですね。夏目漱石も森鴎外もみんなヨーロッパに留学しています。その中の一人のエピソードをお伝えします。
古市公威(こうい)という若者が、パリで土木工学を学ぶために下宿していました。
ある時、風邪をひいてその下宿のマダムが、あなたは今日ぐらい休んだらと言ったそうです。その時、古市は何と答えたのでしょうか。古市は、「僕が一日休むと、日本は一日遅れるのです」と答えたそうです。みなさんどう感じましたか。
古市は、帰国してから日本の道路や橋や河川、港など、日本の土木インフラの構築に大変な功績を残した人です。下宿のマダムは、この若い日本の青年の言葉を聞いて、どう感じたのでしょうか。おそらく、東洋の果てのジャポン、日本という国は将来とてつもなくすごい国になるのではないか。そう感じたのではないでしょうか。
もう一つ、ご存知の方も多いかもしれませんが、ぜひ皆さんに知っていただきたいことを話します。愛、ラブですね。
民主主義、自由、哲学、美術、こうした言葉は、江戸時代の日本にはありませんでした。明治維新の後です。これらの言葉の概念、考えは日本には当時なくて、西洋からその概念を輸入して日本語に翻訳した翻訳語なんです。
ラブが愛に、デモクラシーが民主主義に、リバティが自由に、フィロソフィが哲学に、アートが美術に、個人、進化、物理、政治、権利、社会、科学、まだまだたくさんありますが、明治の初期から福沢諭吉や西周(あまね)という人たちが苦労して、工夫して、日本語に翻訳した言葉です。私たちが今、普通に使っているこの翻訳二字熟語は中国にも伝わって、中国人もみんな使っています。私たちの祖先はそういう血の滲む努力を続け、私たちはそのおかげで今を生きていると言っていいかもしれません。
■人権先進国
もう一つ皆さんにぜひ記憶してほしいことがあります。日本は人権、人の権利に対する先進国でした。
社会は今も人種差別があると言っていいかもしれません。白人の有色人種に対する差別は、かつての奴隷交易に関係があります。アメリカ、中南米に向けてアフリカから送られた奴隷の数は延べ1000万人と言われています。ヨーロッパの植民地だった中南米にたくさん送り込まれたんですね。
アメリカにも数十万人が送られたと言われています。1918年、第一次世界大戦が終わりました。日本は戦争が終わる前にその戦争に参加して勝利し、アメリカ、イギリス側に並びました。戦勝国の一員になったのです。戦争の後、国際連盟設立のためのパリ講和会議が催されました。戦勝国の一員として参加した日本は、事前の国際連盟委員会で、人種差別撤廃決議を国際連盟の規約に盛り込むよう提案しました。
世界で初めての政治的主張でした。当時は、アジア、アフリカの植民地時代でした。たくさんの国が賛成で多数決ならもちろん決まっていたのですが、まだ植民地を持ち、人種差別が残っていたアメリカが中心になって、特に議長国だったアメリカのウィルソン大統領がこのような重大なテーマについては多数決ではなく、全会一致で決めるべきであると言い切り、アメリカやイギリスが反対してこの人種差別撤廃という素晴らしい日本の主張は否決されました。日本の主張は、欧米での日本及び日本人への人種差別、偏見に対する日本の怒りであり、日本の国際的地位の向上を目的にもしていました。
日本は、有色人種、つまりアジア、アフリカを代表する国としてリーダーシップを発揮し、主張したのですが、否決されました。私たちの祖先は、100年も前に国際会議で堂々と理想を掲げ、誇りを持って世界に提案したことを覚えておきましょう。もう一つ、これもぜひ皆さんに知っておいていただきたい「マリア・ルス号事件」というのがあります。
「マリア・ルス号」、これはペルーの船なのですが、これも人権に関して実に重要な事件だったのです。多くの日本人が知らない歴史的事件です。先ほどのパリ講和会議の約50年も前ですから、つまり明治が始まって間もない頃です。ペルーの船が横浜港に来た時に、この船は中国から苦力(クーリー)と呼ばれる出稼ぎ労働者を運んでいました。
クーリーは奴隷とほぼ変わらないような人身売買までされていました。クーリーは過酷な労働を強いられ、このペルー船から逃げ出して、日本に保護を求めてきました。開国間もない横浜が舞台です。
ペルー側は逃げたクーリーを返せと日本側に要求。日本側は奴隷売買事件として考え、人道に反するとして、日本政府とペルーとの相手で裁判になりました。
日本の裁判所は日本側の主張を認めたのですが、ペルー側はさらに抗議して国際仲裁裁判所に訴えました。しかし、判決で日本の主張が認められました。その時の日本の今でいう外務大臣は、副島種臣(そえじま・たねおみ)です。
彼は人道主義に基づいて、また日本の独立国家としての司法権、法律的な権利を主張しました。国際仲裁裁判所で日本は勝利しました。このことは、明治維新を経て、開国まだ間もない日本という国が、国際社会で文明国として高い評価を受けることにつながりました。
私と同じ年齢の日本人でもほとんどこのことを知りません。私はこういう誇り高い歴史をつくった先人、私たちの祖先にとても感動し、誇りに思っています。
■希望は過去からやってくる
「希望は過去からやってくる」という言葉があります。歴史をもっと学びましょう。
平安時代まで遡り、明治まで来ましたが、少しばかり誇りと希望が出てきませんか。今月2人の日本人がノーベル賞を受賞しました。一番悔しいのはもしかしたら、お隣、中国の習近平さんかもしれません。

何しろ日本人のノーベル賞受賞者は、14億人の中国より圧倒的に多いのです。さて初めて日本人で受賞したのは誰かご存知でしょうか。1949年、昭和24年です。
戦争に負けて4年後、湯川秀樹博士が受賞しました。アメリカを中心に連合軍という名の異民族に支配され、日本人がとことん自信を失っていた頃の出来事です。学問研究の世界でナンバーワン、とてつもない感動、日本人はとても喜んだようです。
科学の世界で日本人が世界に貢献できるかもしれない喜び、それからずいぶん経っていますが、今月のお二人の功績も、人間や世界の将来に役立っていくのではと思います。嬉しい話です。
さて、では日本が抱える課題は何でしょう。
食料の自給率が低いこと、エネルギー、とりわけ石油をほとんど輸入に頼り、国の借金も多く財政が大変だと耳にしたことがあるでしょう。安全保障はアメリカに頼りすぎ、そして私が一番気になるのは、少子高齢化、人口減少の問題です。日本の人口は1億2300万人ですが、人口減少のスピードは早まり、昨年は、生まれた人が68万人で、亡くなった人が160万人、差し引き、日本の人口が約92万人減りました。
やがて年に100万人減るかもしれません。呉の人口は20万人くらいですから、毎年、呉が5つ消える、そんなスピードになりかかっています。
今が2025年。25年後、皆さんが30代から40代の前半、2050年には社会のど真ん中で皆さんがこの日本を背負うことになります。その頃、日本の人口は、今の1億2300万人から1億人に、ざっと2千万人くらい減るということになっています。その50年先、2100年には、日本の人口は6400万になるのではないかという人口統計予測があります。
この予測は結構当たります。ということは、2100年の日本は、人口が半分近くなります。江戸時代は、3000万人くらいで、自給自足で平和に暮らしていたのだから、日本の人口が減っても、心が豊かに生きていくことができるなら、それもいいのではないか。
そんな考え方もあっていいでしょう。でも、その反面、世界が、地球がこの先どうなるか、環境も含めて難しい時代が待ち受けています。始めから、なるようになればいいと考え、じわじわと日本が沈んでいくのも嫌だなというのが、私の実感です。国の将来をどう考え、何を国の目標にするのか、国民は何を求めるのか、今を生きる私たちは、世代を越えて議論しなければならないと私は思っています。もうすぐ皆さんの時代になるのです。
日本はどういう方向を目指すべきか。しっかり考えていった方がいいと思います。日本は最先端技術では、例えば量子コンピューターや核融合、また、iPS細胞の作製に成功し、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が頑張る再生医療、ロボット技術など、世界をリードしているものもあります。私の出身地の北海道では今、ラピダスという会社が最先端の半導体の開発に取り組んでいます。国も本気で応援しています。例えば、そういうチャレンジが大成功すれば、景色が変わってきます。
世界が日本を見る景色が変わるのです。戦艦大和の臼淵大尉は、先ほど紹介しましたが、「自分たちの死をもって、日本よ、目覚めてくれ」という言葉を思い出します。日本が日本の課題を解決することが、世界に役立つのです。
人口減少でも、本当は子供を産みたいという人がたくさんいます。産みたくても産めない、そういう人たちの願いを叶える制度、女性が職場でよりよく活躍できるシステムも必要です。高市早苗さんが日本初の女性総理大臣になる可能性が高いです。
私は、高市さんは一生懸命頑張ると思います。高度人材、つまり技術や知識、文化を持っているレベルの高い、クオリティの高い外国人が、移民として日本で働きたい、日本で暮らしたいと思うとき、受け入れる条件が整えれば、日本が本当に必要としている人材がたくさんやってきます。先端的な技術を持った人々から、ワインを作る専門家まで、日本をもっと強く豊かにしてくれるかもしれません。
いつの間にか、英語が第二公用語になって、日本が好きであり、日本の伝統を愛してくれる人々が、そういう外国人に住みやすい国になっているかもしれません。日本の若者もいつの間にかバイリンガルになっている。エネルギーでも、日本近海に眠るメタンハイドレイドガスの開発、実用化に成功して、石油を輸入しなくても良くなる。(C.プレストウィッツ著『2050 近未来シミュレーション日本復活』を参照。)
夢のような未来ですが、皆さんが30代、40代になる頃、それが一つでも実現していたら大変なことになります。人口も減少ではなく、今の1億2300万人よりも逆に増えているかもしれません。日本の安全もアメリカ任せではなく、日本が中心になってアジアの国々としっかり協力して、自衛隊員も誇りを持って働き、国民から尊敬される。本気にやればできるかもしれないことがたくさんあるのです。日本はどんな国を目指すのか。それをしっかり今から頭の中に入れて、皆さんも時には議論してほしい。 私はそれを心から希望します。

日本が繁栄して魅力のある国になれば、世界に影響力を増すことができます。そして様々に貢献できます。今世界は混乱、混迷、分断、分裂、ひどい世界になりつつあります。
この世界を日本が穏やかにすることができれば、そんな嬉しいことはありません。それができれば、世界から尊敬されます。先ほど紹介したアニメ映画『この世界の片隅に』で、すずさんのお母さんが言った言葉のように「みんなが笑うて暮らせりゃええのにねえ」。
2050年までの25年なんてあっという間に過ぎます。私は皆さんに、日本人のたくさんの先輩たち、祖先ですね、古代から今に至るまで頑張ってくれた人々に、リスペクト、尊敬して未来を考えてほしいと思います。
「希望は過去からやってくる」。勇気、正義、誇り、そんな言葉も覚えておきたいです。他人の間違いや、人の過ちを責めてはしゃぎ回る、そういうメディア、SNS、これを「品性の下劣」と言います。
そういうことはやめましょう。日本は東西の文明、古代と近代が今もあわせて息づいている珍しい文明国なのです。自分も幸せになり、社会、国のために役立つ、そういう人がたくさん、この呉の街からも、この清水ヶ丘高校、青山中学、高校から現れてほしい。
皆さん、希望を持って前向きに生きてください。長い時間、私の話を聞いてくれてありがとうございました。今日聞いた話を、少しでもパパやママにも伝えて、一緒に話をしてみてください。
この国に生まれてよかった、そう思える国にしていきましょう。ありがとうございました。
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