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日本の若者の声を世界に発信する「Ignite」の第45回は、東日本大震災をきっかけに誕生した日米の若者のリーダーを育成する日米の官民パートナーシップ「TOMODACHIイニシアチブ」の同窓生、慶応義塾大4年(当時)、安西志帆さんが3月14と15の2日間、能登半島沖地震の被災地を視察し、復興に携わる現地のリーダーらと交流した中で感じた思いを綴ったエッセイ「震災と過疎 漫画『スキップとローファー』が教えてくれたこと」を紹介する。

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震災と過疎 漫画『スキップとローファー』が教えてくれたこと
東京出身の私を能登とつながげてくたのは、漫画「スキップとローファー」(高松 美咲作)だった。同書は、石川県能登の田舎から東京の進学校に首席入学した主人公・岩倉美津未の青春ストーリーだ。能登が主人公の「大切なふるさと」と描かれており、私は能登の地震の前から、漫画をきっかけに能登に関心を持つようになっていた。
また、TOMODACHI Initiativeのモルガン・スタンレー・アンバサダー・プログラムに参加し、ワシントンD.Cで研修した経験も大きかった。私はチームを組んで日本の高齢者の孤独死の問題を解決するための、地域コミュニティを作るNPOの設立を提案したが、米国人学生の質問に、十分に答えることができなかった。東京で生まれ育ち、地方の実情や抱える問題に対する知識や当事者意識が欠けていることを情けなく感じ、現地を訪れて学びたいという気持ちが芽生えていた。能登の復興や過疎問題に向き合いたいと思い、今回の能登プロジェクトに参加した。

2024年1月1日、能登半島地震当日。この日も和倉温泉の旅館には正月で帰省した地元の人たちや客が泊まっていた。日帰り温泉施設「和倉温泉総湯」には当日、1200人の客がいたが、無事避難した。しかし、断水が3ヶ月以上続いた。20軒あった旅館のうち、営業再開できたのは9軒だけで、温泉街としてはかなり苦しい状況だった。
その中で、ボランティアの方から、自宅も被害を受けて解体せざるを得なくなったが、修理費用の3分の1は全国からの義援金に支えられた、という話を伺ったのは、救いだった。
私は、「スキップとローファー」を通じて漫画購読を通じたチャリティや義援金活動を行っていたが、ボランティアの方の言葉で能登が「報道を通じた想像」から「生活の現実」に変わった。また、義援金活動が建物の修理などの物理的支援だけではあく、「和倉温泉は孤独ではない」という心理的な支援に繋がっていると感じることができた。東京にいた時には分からなかったが、「自分の支援には意味があった」のだと初めて思えた。
自分が住んだことのない地域に思いを持ち続けることは、簡単なことではない。しかし、思いを行動に移し続ければ、いつかその地域は大切な地域になると思う。そんな地域がたくさんある人生は幸せだ。今回の能登訪問を通じて学ぶことができた。
能登食祭市場の交流スペースに多くの住民たちが集まって音楽を楽しんでいた。祭りのために多くの人が里帰りをする温かさは「この場所が好きだ」という思いの象徴だ。街を愛する人たちが増えることが、街を活気づける原動力になる。

和倉温泉には「能登ミルク」のジェラート店など、若者世代も楽しめるお店も増えていた。新たな若い店が街を彩っていることは、復興や過疎化といった課題の先にある、若い芽吹き、新しい未来への第一歩であると信じている。
私自身も大学で学んだ政治学や行政学の視点から、地方の過疎化の問題を発信し続けていきたい。そして、自分のように都市部に住む人たちにも能登の持つ魅力や課題を、他人ごとではなくもっと知ってもらいたい。和倉温泉は、温泉が湧き出るように人々の熱い思いで少しずつ前に進んでいることを確信させてくれる場所だった。私は、東京からこれからも応援し続けていきたい。
筆者:安西志帆(あんざい・しほ)
東京出身。
慶応義塾大4年(当時)
TOMODACHI Initiativeのモルガン・スタンレー・アンバサダー・プログラムに参加。ワシントンD.C.に2週間滞在し、現地の学生たちと非営利団体の活動や起業家精神について学んだ。
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