沖縄県那覇市辻にある三文珠公園の入口(©Japan Forward/吉田賢司)
This post is also available in:
沖縄の三文珠公園は、一見したところ、島の歴史を語る場所には見えない。
那覇市辻地区の静かな住宅街に位置する小さな公園で、意識して探さなければ見過ごしてしまうほどだ。
周囲にはマンションや住宅が立ち並び、狭い道路を車が行き交う。歴史的な重要性を直ちに感じさせる要素はほとんどない。
古い地形の名残
しかし、ブランコやベンチがあるだけのこの公園こそが、興味深い場所でもある。
三文珠という名称は、17世紀後半から18世紀初頭にかけて、琉球の著名な賢人3人がここに集い、王国の将来について語り合ったという地元の伝承に由来するとされる。園内の案内板によれば、この一帯はかつて旧辻(チージ)集落の海側に位置する小高い丘で、「辻原(チージバル)」と呼ばれる岩場であったという。

那覇市西側の一部は、長い年月をかけて埋め立てが進められてきた。このため三文珠公園は、自然の変化と人為的な再開発の双方によって形づくられた土地の上に位置している。
現在でも周辺は、市街地の中にありながらどこか切り離されたような雰囲気があり、近代的な街並みの下に古い地形の名残が潜んでいるかのような感覚を覚える。

長い影を落とす辻
三文珠公園を語る上で、辻の歴史的な位置づけに触れないわけにはいかない。沖縄の近現代史において、辻は長らく歓楽街として知られてきた。それ以前は、琉球王国に結びついた全く異なる社会的世界の一部であった。
中国や薩摩から訪れる使節や役人をもてなす場として機能し、そこで働く女性「ジュリ」は、単なる性産業にとどまらず、音楽や舞踊、洗練された衣装や礼法とも結びついた存在であった。
そうした世界はすでに失われたが、完全に消え去ったわけではない。辻の歓楽街としての歴史の痕跡は、現在も地域の内外にわずかに残っている。
一部の店舗には往時の雰囲気の断片が保たれ、街並み全体にも連続性が感じられる。現在は生活の場としての住宅地となっているが、その基盤には消えきらない歴史が横たわっている。

今も息づく歴史
こうした対照こそが、三文珠公園に独特の趣を与えている。著名な観光地ではなく、目を引く遺構や名勝、長い行列があるわけでもない。だが、その代わりに、より繊細な価値を備えている。かすかながらも、かつての那覇の面影を感じ取ることができる場所なのである。
多くの歴史が失われ、再建され、あるいは舗装に覆われてきた沖縄では、このような静かな痕跡は見過ごされがちだ。
筆者:吉田賢司(JAPAN Forward記者)
This post is also available in:

