安倍晋三元首相が銃撃され亡くなってから4年。現場には献花台が設けられ、多くの人がそれぞれの思いを胸に手を合わせた。東京都内で開かれた「志を継承する集い」では、安倍氏を支えた政治家らが登壇し、「戦後レジームからの脱却」の理念を前進させることを心新たにした。
F36LVFGPJ5AU3AMTNRMI7SSEAU

安倍晋三元首相の遺影に花を手向ける人々=7月8日、奈良市(奥原慎平撮影)

This post is also available in: English

安倍晋三元首相が令和4年7月8日に奈良市で街頭演説中に銃撃され亡くなってから、7月8日で4年。現場となった近鉄大和西大寺駅前には献花台が設けられた。朝から多くの人が花を手向け、安倍氏の遺影を前にそれぞれの思いを胸に手を合わせていた。

奈良県御所市の40代女性は涙ぐみながら献花し、「どうか見守ってください。娘も発達障害がありますが、頑張って育てていきます。安倍昭恵夫人と一緒にいろいろ楽しむはずだったのに」と声を震わせた。

奈良市の70代女性は「本当にあり得ない。一番立派な首相だったのに。腹が立つことばかりで悔しい」と事件への無念さを口にした。

近くに住むという70代女性も「日本を守ってほしい。高市早苗首相を守ってください。それだけです」と話した。

兵庫県芦屋市から訪れた50代の会社員男性は、仕事を休んで献花に訪れたという。「惜しい人を亡くした。高市さんが自民党の政治を(安倍氏の首相時代の頃に)戻しているので、安倍さんも少し安心しているのではないか」と語った。

献花台周辺では、安倍氏銃撃事件の公判の見通しなどについて参列者に質問するマスコミも。こうした様子を見て、この男性は「惜しい人を亡くした。(この場では)その思いだけです」と強調した。

大阪の高校1年の男子生徒も、記者団から公判について質問を受け、「いかなる理由があっても人を殺害してはいけない。身勝手な理由で犯行に及んだことを肯定できる理由は一つもない。(一審判決で下された)無期懲役で済むのかという思いもある」と話した。

その上で、「まるで安倍総理のせいで、問題が起きたかのような報道するあなたたちの姿勢がものすごく不愉快だ。事件を矮小化しようとしているようにしかみえない」と訴えた。

「安倍総理」の志継承

東京都内では11日、「志を継承する集い」が開かれた。安倍氏を支えた政治家やジャーナリスト、元官僚らが登壇し、「戦後レジームからの脱却」の理念を高市早苗政権で前進させることを心新たにした。多くの出席者は今なお「安倍総理」と呼んでいた。

高市首相は「安倍氏の代わりは私には到底務まらない。比較されては批判ばかりをいただく日々だ」と吐露。「性格も能力も、仕事の進め方も、安倍氏と私とでは全く違う。『I am who I am』、私は私、と開き直りながらも、やはり苦悩の中にいる」と心境を明かした。

「この7月を迎えると心底寂しい気持ちになる。しかし、7月は梅雨から夏に移る。真夏の快晴の空、見渡す限りの青空を見上げると、晴れ男だった安倍総理のことを思い出します。『顔を上げて、前を向いてがんばれ』と声が聞こえてくる気がする」

高市首相はこう語り、安倍氏への思いをにじませた。

折しも、10日には皇族との養子縁組による旧宮家の男系男子の皇籍復帰を可能とする皇室典範改正案が衆院本会議で可決され、参院へ送られた。

ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、「戦後レジームからの脱却の最も重要な一歩を踏み出した。安倍総理は皇室典範改正を恐らく最も重要な日本国の立て直しの柱だと位置付けていた」と述べ、「戦後レジームから脱却した日本は、どの国にも負けない心優しい素晴らしい国だ。そのことに誇りを持ち、世界の真ん中に堂々と立つべきだ」と訴えた。

安倍氏の〝弟分〟といわれる自民党の萩生田光一幹事長代行は、「自由のパイナップル」と呼ばれた出来事を紹介した。

2021年2月、中国当局が台湾産パイナップルの輸入停止を表明すると、安倍氏は台湾産パイナップルを手に笑顔の写真を自身のX(旧ツイッター)に投稿し、「今日のデザートはパイナップル。とっても美味しそう」と発信した。

萩生田氏は「写真は世界中の皆さんがリツイートしてくれてバズった。あれよあれよと、日本中で台湾パイナップルを買おうという運動が広がった。今では輸出先の99%が日本になったそうだ。これも安倍総理が残した大きなレガシーのひとつだ」と語り、台湾との友情を象徴する出来事として紹介した。

第2次安倍政権で首相秘書官を務めた島田和久元防衛事務次官は、安倍氏が築いた安全保障政策を「安倍ドクトリン」と位置付けた。

「安倍政権は、自らの努力で平和を守る国へと日本を転換させた。『安倍ドクトリン』と呼ぶべきものだ。自分の国は自分で守るという当然の防衛努力が、あたかも平和主義に反するかのように受け止められてきた構図を根底から改めたのが安倍総理だった」

25年4月に、硫黄島(東京都小笠原村)を訪れた際のエピソードも紹介した。昭和20年3月に2万余の日本軍守備隊が事実上、「玉砕した」と伝わる激戦地だ。

「私は総理のすぐ後ろを歩いていた。滑走路に入った途端、総理は突然立ち止まり、両膝をついて滑走路を手でなでられた。『この下に眠っておられる…』という風に聞こえた。ひざまずいたまま、滑走路の上で合掌された。誰かに見せるためではない場所で、自然に膝をつき、手を合わせられた。戦没者に対する総理の思いの深さを知らされた」

筆者:奥原 慎平(産経新聞)

何もない暗殺現場 記憶を風化させるな

6月下旬、暗殺現場の近鉄大和西大寺駅の北口。近くの歩道には梅雨空の下、花壇に植えられたマリーゴールドやヒャクニチソウなどの花々がぬれていた。衆人環視の中で起きた惨劇を示す痕跡は今、何もない。

現場は交差点の中でガードレールで囲まれた「小島」のようになっていた。事件前から道路の整備計画があり、その地は予定通り車道になっている。近くの歩道には花壇が2カ所設けられた。鎮魂の思いが込められているのだろうが、説明書きは何もない。

この記事の続きを産経ニュースで読む

筆者:酒井充(産経新聞)

This post is also available in: English

コメントを残す