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「2隻のプリンセスの物語」(上):ダイアモンド・プリンセスのコロナ対応

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ほぼ同じ設備と乗員数で、乗客数も類似した2隻のクルーズ客船の船内で新型コロナウイルスのアウトブレイクが発生した。危機に身を投じたこれら2隻のクルーズ客船は、全く異なる結末をたどることになる。

 

ダイヤモンド・プリンセス(DP)が2月3日に横浜に到着した後、日本の対応は世界的に注目され、そのほとんどが否定的な報道であった。しかし、そこで得た教訓から「日本モデル」の基礎が作られたことにより、これまで国内での爆発的クラスターの発生や規模が最小限に抑えられ、ひいては、このウイルスによる国内死亡者数が比較的少数で抑えられている。

 

驚くことに、1か月後の3月3日にサンフランシスコ沖合に到着した姉妹船、グランド・プリンセス(GP)に対する米国の取り組みについてはほとんど報道されておらず、そこで得られた教訓があったとすれば、どのようなものであったのかは不明である。

 

私はこれら2隻の状況と対応について調査することにした。どのような違いがあり、乗客乗員間の感染拡大、そして乗客乗員の自国への感染拡大リスクをうまく管理したのはどちらであったのだろうか。この2隻のクルーズ船の物語を、日本、米国、カナダ、英国、豪州など数百もの報道や公式評価を基に再構築してみた。

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その結果、DPにおいては当局の段階的取り組みにより徹底した接触追跡と新たな感染の抑え込みが可能になったという、説得力のある全体像が浮き上がった。一方、GPに関しては、未検査乗客の放出、感染乗員の未治療隔離、それに伴う感染拡大という爪痕を残した。

 

 

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)

 

まず、背景を整理しよう。

 

新型コロナウイルス(正式名称SARS-Cov-2)、およびこのウイルスがもたらす病気「COVID-19」のアウトブレイクは中国・武漢で始まり、最初の症例は2019年12月初旬に確認された。中国政府と世界保健機関(WHO)は、流行は中国国内で封じ込められるだろうと繰り返し主張し、中国から、または中国への海外旅行を制限する必要はないと述べていた。

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2020年1月20日、DPが日本に入港した直後に、中国政府は人から人への感染例を認め、1月23日、新型ウイルス発生地である武漢の封鎖を発表した。

 

ダイヤモンド・プリンセス

 

では、時系列に順を追ってみていこう。1月20日、数週間前に武漢での滞在歴がある香港人が横浜でDPに乗船し、香港に向け出航。1月25日に香港で下船した。その後、DPは台湾、ベトナム、沖縄に寄港後、2月3日に横浜へ到着した。

 

その香港人は計5日間DPに乗船していた。乗船中に症状は見られず、下船後に発症。香港の病院で検査を受け、COVID-19に感染していることが2月1日に確認された。

 

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2月2日深夜、香港の公衆衛生当局から、DPの元乗客が感染したという知らせが届いた。また、船内の医務室から、約30名の乗客乗員にインフルエンザのような症状が出ていることが報告された。状況を見極めるため、2月3日、DPは乗客を下船させないように命じられた。

 

 

DPは英国籍船で、米国が所有・運営する大型船である。横浜に到着時、乗員1045人、乗客2666人、合計3711人が乗船していた。日本人は総数の約3分の1を占める1341人で、56の国と地域の人々が乗船していた。米国、香港、豪州、カナダの国民が乗客の大半を占める。乗員の多くはフィリピン人、インド人、インドネシア人で、船長はイタリア人であった。

 

 

DP緊急事態に対する日本の対応

 

DPが横浜に到着した2月3日当時、日本の1日あたりのCOVID-19検査数は最大でもたった300件であった。各検査は専門検査機関2か所のいずれかで実施する必要があり、完了までに6時間かかった。検査結果が得られるまでは2~3日を要する。

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一方、世界トップの感染症対策センターである米国疾病予防管理センター(CDC)は、COVID-19の検査キットを2月中旬までまったく生産できず、その後も少量のみだった。検査結果はアトランタのCDCからしか取得できないため、検査結果がわかるまで3~4日を要した。

 

2月4日(DP 1日目)から、日本は感染疑いのある乗客30人に対してポリメラーゼ連鎖反応(PCR)検査を開始し、うち20人が陽性反応を示した。これらの乗客はすぐに下船させられ、首都圏にある病院の感染症専用病棟に収容された。2月5日(DP 2日目)までに、DPが横浜に到着したときにはすでに「感染船」であったことは明らかであったが、感染状況を把握するのにさらに数日かかることが見込まれた。

 

北米、アジア、欧州のどこも、3700人以上を乗せた感染船に手を貸すことができなかった。1日あたり300件を上回る検査能力を持っているのは中国のみだったが、中国は武漢におけるアウトブレイクの対応に集中していた。そのため、検査キットをどこからも「借りる」ことはできなかったのだ。

 

2月3日時点で、ウイルスの感染力や全ての感染経路についてはほとんどわかっていなかったことに留意いただきたい。しかも、同船に多数の国民が乗船していた国々は、武漢からの自国民退避に注力しており、そちらの対応を優先していた。また、日本においても、武漢からの緊急退避を必要とする日本人が800人以上いる状況だ。

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当時、チャーター機を手配して自国民を船から避難させることを申し出た国はなかった。隔離施設が設けられていないからだ。DPの船内隔離開始から7日目に、CDCはDP内の米国国民にメッセージを送信し、客室内の隔離を継続することが最善の選択肢であると助言していたほどだ。

 

 

隔離

 

東京・横浜エリアは、世界で最も人口密度の高い地域の1つで、3400万人以上が住んでいる。しかしこの地域には、すぐに隔離施設として利用できるような建物を持つ基地等はない。東京には米軍横田基地があるが、適切な施設がないため米国は利用を提案しなかった。ちなみに、日本には病院船はない。

 

他に実行可能なオプションがない状況であることから、2つの課題が持ち上がった。乗客乗員間の感染を防ぐ、あるいは少なくとも遅らせること、そして感染可能性のある乗客乗員が50か国以上におよぶ自国へ帰国する際に、ウイルスを持ち帰るのを防ぐことである。

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安倍政権は、WHO、CDC、およびその他関係保健機関と協議し、全乗客乗員を2月19日までの14日間、船内に隔離するという決定に至った。全乗客を客室内に留め(今でこそ皆が知る「ソーシャルディスタンス」)、室外に出ることが許可される短い時間でもマスク着用を義務付け、乗員の移動を最小限に抑え、インフルエンザのような症状がある人へのPCR検査を継続し、陽性と判定されたらすぐに下船・入院させる計画であった。

 

次の7日間で、PCR検査により、乗客537人と乗員82人の感染が確認された。12~14日間の潜伏期間と発症時期を考えると、このほぼ全員が1月20日から横浜に到着した2月3日の間に感染したことは明らかだった。

 

PCR検査で感染が確認されると、軽症や中等症であってもすぐに下船させ、首都圏の病院に収容した。国立感染症研究所(感染研)による最終評価では、感染した乗客の95%以上、および感染した乗員の85%以上が、2月3日に横浜へ到着する前に感染したとのこと。隔離中に感染したのは数人にとどまり、しかも潜伏期間中でほとんどが乗員であった。

 

下記データは、隔離期間中に船内にいた約3000人への感染が、隔離によってほぼ完全に阻止されたことを明確に示している。

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2月11日(DP 6日目)から、下船を見込み、乗客乗員全員に対して体系立てたPCR検査が開始された。米国は、PCR検査で陰性だった米国国民328人のために、2月17日(DP 13日目)早朝に米国へのチャーター機を手配した。44人の米国人は残り、日本の病院で治療を受けた。その後2日間で、香港、カナダ、豪州など乗客数の多い国々が米国に続いてチャーター機で自国民を帰国させた。

 

2月19日(DP 15日目)、PCR検査と最終的な健康診断をクリアした残りの乗客の集団下船を開始。首都圏のホテルなどの施設でさらに14日間隔離された。下船者数は、19日443名、20日274名、21日253名(DP 17日目)であった。

 

PCR検査で陰性だった乗員は、さらに14日間隔離するために船内に留まった後、3週間かけて全員が自国に帰還した。最後の乗員は、PCR検査をクリア後、3月2日に下船した。

 

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その後感染研は、検査で陰性となって帰宅を許可された日本人乗客から第三者への感染が発生していないことを確認できた。数名はその後の再検査で陽性であることが判明したが、日本でのアウトブレイク発生につながる懸念はなかった。

 

自衛隊員2700人以上が派遣され、最長20日間にわたって隔離の支援を行った。自衛隊員は乗客乗員への処方薬の供給(自衛隊の薬剤師3人が船内に常駐)、健康診断の実施、船内消毒の支援を行うとともに、自衛隊救急車とバスの運転手として活動した。

 

自衛隊員は安全基準に従って行動し、自衛隊支給の個人用防護具を利用していた。感染した自衛隊員は1人もいなかった。数十人の厚生労働省職員も隔離支援のために乗船していたが、訓練されておらず防護具も不十分であったため、うち14名が乗船中または乗客乗員輸送の任務中に感染した。

 

ともに弁護士である米国人夫婦のマット・スミス氏とキャシー・コードカス氏は、DP船内隔離中のツイートで知られている。2人は米国チャーター機への搭乗を拒否し、東京の隔離施設に留まることを選択した。

 

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マット氏は、「あのような飛行機の環境では、船内や隔離施設よりもウイルスに感染する可能性が高かっただろう」と言い、「日本人のホスピタリティと、滞在させてくれた施設に対して感謝している」と語った。

 

別の米国人乗客、サラ・アラナ氏は「日本に責任を負わせすぎていたし、日本は責任を負う必要などなかったはず。日本の人々が責任を問われるべきではない。感謝の気持ちでいっぱいだ」とコメントした。

 

DPは船内洗浄後、重度の感染船として到着してから52日後の3月26日に横浜を出港した。

 

 

DPの対応についての評価

 

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いくつかの間違いはあった。特に、大多数を占めていた外国人が下船した際あるいは下船準備を進めていた14日目から16日目まで、検疫体制が一貫していなかった。乗船した厚生労働省職員は十分な訓練を受けておらず、装備も整っていなかった。日本には米国CDCに相当する機関がないため、船内のさまざまな支援グループ間の指揮系統が非効率的だった。

 

日本当局チームは、当初下船者が身体的距離を保つことやマスクを着用することを守るだろうと楽観視していたが、そうはいかなかった。重要なことを納得してもらえるよう説明できるだけの英語力も伴っていなかった。

 

さまざまな批判が出ているが、最終的には次の3点に集約される。

 

第一に、感染していない乗客を本人の意志に反して隔離することは非人道的であり、人権侵害だということ。この批判のベースは、公衆衛生に関する一般的な考慮事項は個人の権利に対して二の次であるという考えだ。しかし、GPなど複数のクルーズ船の事例や、のちに世界各地で厳格に実施された強制的なロックダウンの事例を見ると、的外れな批判であるといえよう。

 

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第二に、船内は感染の温床であり、隔離に使用すべきではなかったということ。では、2月3日の時点でその他の方法があったのだろうか。これしか方法はなかった。

 

第三に、隔離計画には欠陥があり、管理も不適切であったということ。この批判は、船が横浜に到着する前にすでに感染が広がっていたことを示すデータと矛盾している。乗客についてはほぼ全てのケース、乗員に関しても大部分は横浜に着く前のケースだ。

 

著者:内藤慧人
元国際ビジネス弁護士。上級管理職を歴任し、日本、インド太平洋地域、また世界中の複数の米国および日本の多国籍企業において主要なビジネスユニットを率いている。日本で40年以上生活、仕事をし、2015年に帰化。

 

(下)に続く

 

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この記事の英文記事を読む

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