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【永遠の北斎】北斎の優れたデザイン感覚

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ドミニク ソーツによるロンドンの大浪壁画

 

北斎の芸術が私たちに今もなお共鳴している理由の一つは、北斎の見事な「デザイン感覚」ではないかと考えられる。ファッションから、花瓶やロンドンの建物の壁まで、北斎の魅惑的な図案は、基本的に何でも飾ることができる。

 

人生の中で北斎は、無限に存在する動物、自然、滑稽、建築などをスケッチすることによって自分の芸術を改善し続けた。 19世紀初頭に、数多くのスケッチを含める『北斎漫画』という絵本のシリーズを出版し始めた。 このシリーズは大ベストセラーになり、1849年に北斎が亡くなってからも数十年にわたって出版され続けた。

 

1850年代に日本の港が開港した後、『北斎漫画』はすぐにヨーロッパとアメリカに広まった。数十年の間に、アメリカのインテリアデザイナーや、フランスの花瓶、食器、家具のデザイナーや企業は、『北斎漫画』の図版を製品の素晴らしいモチーフに合わせて作成した。

 

 

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京都伝統工芸館を訪れたとき、北斎の作品が欧米のデザイナーや企業の製品によく合う理由を理解してきた。北斎はプロダクトデザインに精通し、19世期に数多くの工芸品や着物などをデザインしていた。京都伝統工芸館の展示室には北斎図案の煙管があった。

 

北斎のさまざまな工芸品のデザインは、「今様櫛きん雛形」として出版された。この本は、櫛の職人と煙管が製品を装飾するために使用した約400図版を含む小冊子二冊だ。つまり、西洋のデザイナーが北斎の図版を利用し始めたとき、日本の職人はすでに半世紀以上にわたって北斎図案の工芸品を作っていた。

 

北斎の『今様櫛きん雛形』 (1823)

 

『今様櫛きん雛形』のような絵本は、比較的手頃な価格で日本の職人が手に入れることがでた。 基本的には、武士から職人まで、多くの人々は北斎の絵を買うことができた。北斎の作品の人気のために、数多くは何度も作成された。これにより、「神奈川沖浪裏」はおそらく約8,000回に印刷された。

 

「神奈川沖浪裏」などの浮世絵はどのように作られたのか。まず、絵師または版元(出版社)は浮世絵の一枚、またシリーズのテーマを考え出す。特に北斎のような人気絵師による浮世絵のシリーズの場合は、版元による事前に本などで宣伝される。その後、絵師は墨一色でいわゆる「版下絵」を描き、版元へ送付する。

 

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版元では、彫師がさまざまな色の複数の板木を準備している。次に絵師の指示に従って、摺師はこれらの各板木に顔料を適用し、一枚の紙に色を一つずつ印刷する。要求がなくなり、また板木が印刷できなくなるまで繰り返された。

 

 

日本の社会のほとんどの人々が浮世絵を手に入れるのがいかに簡単であるかを知っていた。また北斎の作品には庶民の多くの姿が見られるために、ヴィンセント ヴァン ゴッホは、北斎を「庶民の芸術家」と名付けた。このあだ名は完全に不当ではないが、北斎が手頃な木版画を描いただけではなかったことが重要なポイントだ。北斎は社会の最上位層のパトロンがあり、パトロンは北斎の絵画作品や豪華の絵本などを注文した。北斎のパトロンは武家の将軍を含み、一時は天皇さえも含んでいた。

 

北斎の作品が全ての階級の人々にとって手頃な価格で手に入れられ、魅力的であったという事実は、当時のヨーロッパでは考えられないことだろう。ヨーロッパでは、絵画や装飾芸術は美術品や工芸品として慎重に区別され、一般に異なる作者に図案されていた。ただ日本では、農家から天皇に至るまで、社会のあらゆる層の人々が、優れたデザイン感覚のある北斎の作品を楽しんだ。

 

著者:Frank Witkam フランク・ウィットカム(東京国立博物館学芸企画部 アソシエイトフェロー)

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この記事の英文記事を読む

 

【永遠の北斎】シリーズ
序:世界の人物100人に入った北斎の物語
1:『神奈川沖浪裏(グレート・ウェーブ)』の尽きせぬ魅力
2:北斎の優れたデザイン感覚
3:すみだ北斎美術館の「大江戸歳事記」展をご紹介

 

 

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