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占守島戦没者を追悼 元少年戦車兵「僕らの戦争は8月18日」

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先の大戦で日本の降伏表明後に日ソ両軍が交戦した千島列島シュムシュ島(占守島)の戦没者を追悼する慰霊祭が8月16日、札幌市の札幌護国神社で行われ、約30人が激戦に思いをはせた。

 

終戦とされる8月15日以降も千島や樺太で戦闘が続いた事実が知られていない上、戦闘経験者が数少なくなり遺族も高齢化。記憶の継承が難しくなる中、遺族や有志らが「日本を守った戦いを語り継ごう」と主催した。

 

 

新型コロナウイルスの感染が拡大する中、元少年戦車兵の小田英孝さん(92)=山形県東根市=は出席を断念。「終戦の行事は8月15日に行われるが、僕らの戦争は8月18日。生きて語り続けなければならない」と苦衷を語る。

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昭和20年8月9日、日ソ中立条約を破って満州や南樺太に侵攻したソ連軍は同18日未明に占守島に上陸した。戦闘は日本軍が終始優勢に展開したが、同21日に停戦。ソ連軍は南下し、同28日から9月5日にかけて北方四島を占領した。

 

当時17歳の小田さんは8月18日未明に非常呼集を受けて戦車で偵察に向かい、ソ連軍と戦闘になった。総攻撃を始める同21日午前6時を前に停戦命令を受け、「悔し涙で体が動かなくなった」と振り返る。

 

占守島の戦闘をめぐっては、戦死者数には諸説があるが、ソ連軍に対し日本軍を上回る打撃を与えたとされる。近年は、戦後の日本が朝鮮半島やドイツのように分断されるのを防いだとの見方が強くなっている。

 


戦闘に参加した元兵士らでつくる「北千島慰霊の会」による慰霊祭は平成28年が最後となったが、遺族や千島・樺太関係者らが昨年、「占守島追悼戦没者慰霊の会」(発起人代表=出口吉孝・樺太豊原会会長)を発足させた。

 

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新たな会による慰霊祭は今年で2回目。小田さんら占守島で戦った日本兵が武装解除後にシベリアで鉱山採掘や森林伐採などを強いられ、大勢が命を落としたことから、シベリア抑留犠牲者の追悼も合わせて行われた。

 

今回の慰霊祭には、兄が昭和20年8月19日に占守島で戦死したという伊藤スミエさん(88)=札幌市=とその娘の西井千鶴子さん(55)=同=が出席。西井さんは「遺族が私たちだけで驚いた。占守島の戦いを北海道民すら知らない。遺族ではない方々に関心を持ってもらい、うれしい」と話していた。

 

かつて日本が領有した千島列島と南樺太について、日本政府は領有権の帰属を「未定」としている。現在の占守島はロシアによって立ち入りが制限され、戦車や大砲の残骸が当時のまま残っている。

 

 

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