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戦後76年、ワクチンを恵まれる屈辱

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本質を追究しないのは日本人の特徴である。問題が起きたときに事の本質を徹底的に問いただそうとしない。和を乱すことになるからだ。物事も突き詰めて考えようとしない。だから、明治維新まで自然科学は発達しなかった。

 

文学や芸術と比較すると分かる。例えば西暦500年から1500年までの一千年、日本一国の生み出した文学は質および量で全欧米を圧倒している。一方、明治維新まで、物の本質を追究する優れた哲学は、欧米に比べないに等しく、自然科学では物理も化学も生み出されなかった。

 

明治維新後も本質の追究を嫌う癖は消えなかった。

 

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日清戦争のとき、陸軍では多くの将兵が戦闘ではなく、ビタミンB1不足による脚気(かっけ)で命を落としたが、原因追究を怠ったため、日露戦争でも再び多数の死者を出した。当時の陸軍は白米至上主義だったが、精米された白米にはビタミンB1がほとんど含まれないから脚気患者が多かった。銃撃による死より脚気死の方が多かったのだ。

 

一方の海軍は英国に留学した軍医総監、高木兼寛の指導の下、麦食をとったため、脚気はほとんどなかった。海軍も、先の戦争では大失敗を続けた。昭和17年のミッドウェー海戦で戦力的に劣る米軍に暗号を解読され大敗を喫したのに、敗因を十分に吟味しなかった。そのため米軍の暗号解読は続き、連合艦隊司令長官の山本五十六は撃墜死し、多くの輸送船や戦艦が潜水艦の待ち伏せにより沈められた。

 

陸海軍いずれも、原因の追究は、担当者である友人や上官の重大責任を追及することになるため、軍の和を乱すことを嫌ったのである。

 

日米戦争も同じだ。コミンテルンや米国のルーズベルト大統領による陰謀や挑発があったとはいえ、当時、日米の国力差をみれば、戦う前から誰の目にも敗北は明らかだった。にもかかわらず、精神論が支配する中で、異を唱えれば、臆病者と罵られ和を乱すことになると、みなが本質論から目を背けた。その結果としての悲劇だった。

 

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いまだにグローバリズムを信じて…

 

ここのところ、「科学技術大国」といわれた日本は、どこへ行ったのかと思う。二、三十年ほど前までは、家庭の電気製品はソニー、パナソニック、シャープ、東芝など日本製が世界を席巻していたのに、今や見る影もない。

 

今の新型コロナウイルスにしても、いまだ国産ワクチンがない。製造業凋落の原因を、政府・与党からも野党からも追究する声が出てこない。自分たちの同僚や先輩の政治責任を追及することになるからだろう。

 

「科学技術大国」失墜の理由は二つある。一つ目は平成15年の法制定で国立大学が「国立大学法人」となり、大学は国からの運営資金を毎年減らされたことだ。そのため研究者ポストは大幅に減り、若手研究者のポストは任期付きばかりとなった。これでは腰のすわった研究などできないから、科学論文の質と量は国際的に注目されるほど急低下している。将来が不安定ではと、学生が研究者を志さなくなり、博士課程進学者は激減した。基礎科学力が低下すれば、裾野に広がる応用的な科学力、技術力も下がるのは当然だ。

 

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ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんは、自分の業績が何の役に立つかと聞かれ、「500年たっても役に立たない」と答えた。素晴らしい。すぐに役に立つことばかり考えていると結局、科学技術力の全般的低下につながる。ここ二、三十年の「グローバリズム」つまり金銭至上主義のおかげで、日本は長期的視野を失ってしまったのだ。

 

二つ目は、株主至上主義である。株主は目先の利益を追求し、株価上昇だけを考える。十年二十年先をみた技術開発がおろそかになるのは当然である。株主至上主義とは技術力低下を促し、製造業を潰すための最善の方法なのだ。

 

いまや世界は新型コロナによるパンデミックに、グローバリズムの終焉を見て動き出している。米国のバイデン大統領でさえ緊縮財政からの脱却を発表した。英国のジョンソン首相は早くも昨年4月、今後の国家主義台頭を洞察し、もはや他国に依存するわけにはいかないと、世界のワクチン製造会社や国内製造拠点に多額の政府支援を打ち出した。その結果、国産ワクチン開発と5億回分のワクチン確保に成功した。その間、日本は失敗の本質を省みることもなく、感染者数増減を見ては、緊急事態宣言を出したり引っ込めたりしていただけだった。その結果、ワクチン接種は先進国中で最も遅れ、感染者の激増は医療を逼迫させ、オリンピックを無観客開催という間のぬけたものにしてしまった。

 

 

誇りを失った日本人

 

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8月15日は終戦の日だが、日本は戦後76年、米国のいいなりになり続けてきた。

 

冷戦後、米国の強要するグローバリズムにも唯々諾々と従った。歴史を見ると世界の恐らくどこでも、支配階級は最も裕福な階級だったが、我が国の武士は「武士は食わねど高楊枝」と言われる通り金銭を低くみていた。士農工商で最も貧しかったと言われるほどだ。金より義理や人情を重んずる我が国にとって、金銭至上主義や生き馬の目を抜くような競争社会は国柄にまったくあわないのに、米国に押し付けられれば何も言えなかった。

 

教育に至っては、欧米の真似ばかりだ。ゆとり教育がやっと終わったら、小学生に英語やパソコンだ。論理的思考の基礎は圧倒的に国語である。小学生が英語やパソコンにはしゃいでいては、日本から国際人もパソコンを作る人もいなくなる。

 

どうしてこんな国になってしまったか。戦後まもなく、占領軍は「WGIP」(War Guilt Information Program、私はこれを「罪意識扶植計画」と訳す)に基づき、日本の歴史や文化、伝統を否定し、先の戦争でいかに日本人が悪かったかを喧伝し、日本は恥ずべき国という意識を植え付けた。この洗脳が、なぜか今も生き続け、日本人は誇りを失っている。

 

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だから「日米地位協定」などという屈辱的協定すら破棄できない。世界中から「米国の属国」とみられていても恥じない。菅義偉首相や大臣たちは揉み手して外国にワクチンを恵んでもらっているが、彼らはもちろん国民もこれを国家的屈辱と思わない。

 

戦後は終わってないのだ。19世紀英国の作家スマイルズは「国家とか国民は、自分達が輝かしい民族に属するという感情により力強く支えられる」と言った。「米国の属国」でよいはずがない。日米は軍事上の同盟国で、いまや無二の盟友といってよい。覇権主義中国に対峙するため、ますます結束しなければならない。だからこそ米国に「ふざけるな」と言えなければならない。

 

私は3年間、米国の大学で教えていたが、あちらでは友人同士はずけずけ物を言う。仲がいいということは直言できるということだ。私は友人に無論ずけずけ物を言ったし、私のガールフレンドなどは私に「アー・ユー・クレイジー?」とまで言った。

 

米国に守ってもらっているから物が言えないのなら、自主防衛の努力をすればよい。戦後76年。我が国は変わらなければならない。

 

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筆者:藤原正彦(ふじわら・まさひこ)
数学者。お茶の水女子大名誉教授。昭和18年、旧満州国新京生まれ。東京大理学部数学科卒業、同大大学院修士課程修了。理学博士。米コロラド大助教授、お茶の水女子大教授など歴任。数学者の視点から眺めた清新な留学記「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞、ユーモアと知性に根ざした独自の随筆スタイルを確立。「国家の品格」は270万部を超えるベストセラー。

 

 

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