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戦時労働者問題の全体像(下)

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(上)から続く

 

2.奴隷労働とは異なる姿

 

次に動員後期にあたる「官斡旋」と「徴用」を概観したい。

 

「官斡旋」は1942年2月から44年8月まで、同年9月からは朝鮮でも「徴用」による動員が行われた。

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「官斡旋」に関する日本政府機関の報告書の説明を引用する。(前掲書18頁)

 

「事業主が府県知事に朝鮮人労務者移入雇傭願を提出して、承認をえたのち、総督府に朝鮮人労務者斡旋申請書を提出する。総督府でこれを承認した場合は、地域を決定して通牒し、道ではさらに職業紹介所および府、郡、島を通じて、邑、面にまで割当を決定して、労務者を選定とりまとめしめたのである。すなわち、行政の責任において労務者を集めたのであった。また、送出にあたつて、一組を五名ないし十名とし、二組ないし四組をもつて一班とし、五班内外をもつて一隊を組織して、隊長その他幹部をきめて統制をとり、これを雇傭主またはその代理人が出発地でひきついで、引率渡航した」

 

朝鮮総督府が主導し、各地方の行政組織が割り当てられた労務者を集めた。これは、「募集」の時期には先に見たように、動員計画の外でその9倍に及ぶ多数の朝鮮人がそれぞれの好む職場を目指して日本に渡航した。その結果、戦争遂行にどうしても必要だが、相対的に人気がなかった炭鉱などに朝鮮人労働者がなかなか集まらなかった。そこで、行き先を告げずに行政が割り当て人数を満たす形で朝鮮人労働者を動員することが始まった。しかし、「官斡旋」は法的強制力は持たなかったので、動員に応じなくても刑事罰を受けることはなかった。

 

戦局が悪化する中、1944年9月から、法的強制力のある「徴用」が朝鮮でも全面的に発動された。やはり、総督府が地方機関に割り当てを与えて行政が労働者を集める形がとられた。

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内務省統計では、「官斡旋」と「徴用」の時期の動員数は47万8千人だった。内地渡航者総数は118万6千人だったから、動員数の比率は募集の時期よりは上昇して37%だった。それでも残り6割、70万8千人が出稼ぎ渡航者だった。

 

また、戦局の悪化で朝鮮への帰還者が急増したため、内地朝鮮人人口増加数は53万人だった。動員数はその90%だった。この時期の自然増の統計はないが、数万あったはずだから、自然増以外の内地人口増加のほとんどが動員によるものだったことになる。この時期は一定程度、内地への渡航を管理することに成功していたといえるだろう。

 

しかし、動員された労働者の約4割が契約途中で逃亡してより条件の良い職場に移った。逃亡者が多数発生して、終戦時に動員現場にいた者は32万人だけだった。官斡旋や徴用を渡航の機会として利用して機会を見てより待遇の良い職場に移る者も多かった。

 

逃亡の多さを待遇の悪さの例とする論が一部にあるが、それなら逃亡した者らは朝鮮に帰ったはずだ。実際は帰らず別の職場に移動した。中には渡日した直後に、事前に連絡を取っていたブローカーの助けで別の職場に移るケースもあった。

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戦時下、内地では成人男子の多くが徴兵で労働現場を離れ賃金が高騰した。そのため、出稼ぎ者が急流のように朝鮮から内地へ押し寄せた。戦時動員はその流れを戦争遂行に必要な産業に送り込もうとしたものだった。しかし、募集の時期の動員数は渡航者全体のわずか1割、官斡旋・徴用の時期でも4割にしかならず、大量の出稼ぎ者が個別に渡日した。その上、契約途中で4割が逃亡して別の職場に移った。つまり、出稼ぎ者の流れを効果的に統制することは出来なかったと言える。これがマクロから見た戦時動員の実態だ。

 

一部で言われているような強制連行、奴隷労働とはまったく異なる戦時労働者の真実に姿がこの統計から浮かび上がる。

 

 

3.2回実施された戦時労働者への補償

 

日本と韓国は1965年に基本条約と請求権協定などを結び国交を回復した。国交交渉で韓国は戦時労働者や軍人軍属などへの補償をまとめて韓国政府に支払うように求めた。日本は当初、労働者への未払い賃金や貯金の払い戻し、軍人軍属への補償などを個別に行いたいと主張したが、最終的には韓国の要求を受領し、請求権協定で無償資金3億ドルと低利の借款2億ドルを提供し、それによってすべての請求権が、完全かつ最終的に解決することを確認した。

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当時の韓国の予算3億5千万㌦、外貨準備1億3千万ドル、貿易赤字2億9千万ドルだった。また、日本の外貨準備高18億ドルしかなかった。日本とすれば同じ自由主義陣営に属する韓国の発展が日本の安保と経済に利益になるという大局的判断からかなりの犠牲を払って提供した金額だった。

 

日本はこの合意を受けて1965年に「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」を制定、施行して、韓国人の日本に対する財産権を消滅させた。

 

韓国も1966年に「請求権資金の運用及び管理に関する法律」を制定、施行し「大韓民国国民が有する1945年8月15日以前までの日本国に対する民間請求権はこの法で定める請求権資金の中から補償しなければならない」(第5条)と定めた。

 

同法に基づき韓国政府は、1977年6月30日までに合計83、519件に対して合計91億8,769万3千ウォンの補償金を払った。3億ドルの約9.7%にあたる。そのうち動員時死亡者に対する補償金は8,552人、1人当り30万ウォンずつ合計25億6,560万ウォンだった。なお、負傷者を含む生還者への補償はなかった。未収金や貯金など財産関係清算が7万4,967件、66億2209万3000ウォンだった。日本円1円を韓国ウォン30ウォンと計算した。補償から漏れた者や金額に不満を持つ者らからは補償は不十分だという批判があった。しかし、それはあくまでも韓国政府への批判であって、日本に対するものではなかった。

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盧武鉉政権は韓国外務省の反対を押し切って日韓国交交渉の外交文書を公開し、政府傘下に「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」を組織して、昭和40年の条約と協定で韓国の請求権がどこまで解決したのかを再検討した。

 

委員会名が「官民共同委員会」ではなく「民官共同委員会」とされているが、委員の構成を見てもこのような重大な外交案件を扱う委員会なのに、左派弁護士や運動家を含む民間人が多数を占めている。委員長も「共同委員長」として民から左派弁護士で後日最高裁長官となった李容勲、官から李海?国務総理(現在の与党「共に民主党」代表)が選ばれ、政府委員は9人、この中に大統領民情首席秘書官だった文在寅・現大統領が含まれていたことは注目に値する。それ以外は長官クラスの以下の8人だった(財政経済部・外交通商部・行政自治部・法務部・保健福祉部長官、企画予算處長官、国家報勳處長、国務調整室長)。民間委員は10人で政府委員より1人の多かった。弁護士、学者、外交官、神父、言論人、財界人などと並んで左派運動団体「参与連帯」の運営委員長が入った。

 

同委員会は平成17年「3億ドルには強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案さているとみるべきである」「韓国政府が受領した無償資金中相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任がある」「75 年の韓国政府の補償当時強制動員負傷者を補償対象から除外するなど、道義的次元からみて被害者補償が不充分だった」「政府支援対策を講じること」とする結論を発表した。

 

この結論に従い、政府機関である「対日抗争期強制動員被害者調査および強制動員被害者等支援委員会」が元軍人・軍属と元労働者ら、およびその遺族への慰労金・支援金の支給を行った。

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死亡者1人あたり2000万ウォン、負傷者にはその程度により300万から2000万ウォンの慰労金を支給した。なお、慰労金は本人が死亡している場合は遺族に払われた。なお、75年の補償で30万ウォンを受け取った遺族には、30万ウォンに物価上昇率7.8倍をかけた234万ウォンを差し引いて支給した。

 

また、未収金がある者と生還者には支援金が支払われた。未収金がある者には日本円1円を2千ウォンに換算して支援金を支給し、生還者に医療支援金を本人が生存している間に限って年80万ウォン支給した。

 

同委員会は2008年から2015年12月までに7万2631件に合計約6184億3000万ウォンの慰労金・支援金を再び支給した。死亡者慰労金が1万7880件、3600億7300万ウォン、負傷者慰労金が1万3993件、1021億8500万ウォン、未収金支援金1万6228件、5億2182万ウォン、医療支援金2万4530件、10億3990万ウォンだった。

 

 

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4.日本人運動家らが始めた裁判騒ぎ

 

以上見たような経緯がありながらも日本の弁護士や過激な労組員を含む反日運動家らは、90年代、韓国に出かけていって原告を捜して、費用を持つから日本企業を訴えようと励まして新日鉄住金、三菱重工、不二越への賠償を求める裁判を日本で起こした。それらは全て敗訴した。

 

しかし、支援者らは日本企業の本社に執拗に抗議行動をかけ、地元マスコミで企業を非難するなどの運動を続けた。その結果、不二越は平成12年最高裁で和解を受け入れ、原告3人、元同僚5人、「太平洋戦争犠牲者遺族会(金景錫会長)」に合計三千数百万円の解決金を支払ってしまう事態となった。ところが韓国から新たな原告が出てきて、不二越は再度、裁判を起こされた。

 

しかし、和解を受け入れなかった日本での裁判はすべて企業勝訴に終わった。ところが、支援者と原告らはそれで諦めず、韓国の裁判所に新日鉄住金、三菱重工、不二越を訴えた。韓国でも原告敗訴が続いたが、2012年5月、新日鉄住金と三菱重工の上告審で、最高裁の小法廷が突然、「日本判決の理由には日本の韓半島と韓国人に対する植民支配が合法であるという規範的認識を前提とし」ており、「日帝強占期の強制動員自体を不法であると解している大韓民国憲法の核心的価値と正面から衝突する」ので「大韓民国の善良な風俗やその他の社会秩序に違反する」から「その効力を認定することはできない」とする、「日本統治不法論」を持ち出して、国際法と常識に反する差し戻し判決を下した。

 

それを受けて高裁は日本企業敗訴判決を下し、日本企業が再上告した。さすがに当時の最高裁長官や最高裁判事、そして朴槿恵大統領や外交部は日韓関係の根底を揺さぶる確定判決が出ることは韓国の国益に反すると考え水面下で調整に動いたが、反日差別主義に毒されたマスコミ世論の手前、表だって2012年判決を覆す勇気を持たず、ずるずると審理を引き延ばしつづけた。

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文在寅大統領が就任直後に、左派裁判官として有名だった金命洙・地裁長官を破格な人事で最高裁長官に任命した。金新長官は前任最高裁長官らが確定判決を引き延ばした行為を刑事事件として捜査させた。すでに前任長官の下で司法行政の実務を担っていた元高裁判事は逮捕され、前任長官も容疑者として自家用車などの捜査を受けている。また、金長官によって指名された最高裁判事が過半数を占めた2018年8月、最高裁は新日鉄住金裁判を大法廷に回して審理を開始した。9月には三菱重工裁判審理も始まった。反日を煽る政策を続けている文在寅政権は、国際法や外交上の配慮を求めない。その結果、同年10月と11月に日本企業敗訴という国際法違反の不当判決が相次いで下るに至った。

 

 

おわりに

 

以上見てきたように、日本が行った朝鮮人労働者の戦時動員は、一部で誤解されているような非人道的な犯罪行為ではない。合法的に戦時の労働動員で動員先は民間企業であり、2年契約で日本人と同等の供与が払われていた。強制連行や奴隷労働というイメージは戦後に作られたウソだ。そして、日韓両国は未払い賃金や死傷者への補償など当然払うべき個人の請求権ついては、1965年の協定できちんと解決した。それを受けて、韓国政府がすでに2回に渡り個人補償を実施している。この基本的事実を踏まえた上で、現在の日韓関係を論じる必要がある。しかし、国際社会ではこの基本的事実があまりにも知られていない。本小論が基本的事実の理解の一助となれば幸いだ。

 

筆者:西岡力(現代朝鮮研究者。麗澤大学客員教授。公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長・教授)

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この記事の英文記事を読む
[Wartime Laborers]

Part 1: South Korea Ignores History, Violates 54-Year-Old Treaty
Part 2: Separating Facts from Fiction: Korean Workers Were Recruited, Not Coerced
Part 3:The 3 Phases of Recruitment: Workers Came to Japan on Their Own
Part 4: Koreans Were Compensated Twice Before
Part 5: Japan Activists Incite Koreans to Sue Based on Lies About Forced Labor

 

 

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