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韓国の主張に根拠なし 竹島問題あきらめるな

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韓国が1952年、島根県隠岐の島町の竹島を取り込む「李承晩ライン」を一方的に設定してから、今年で70年。その翌年から始まった韓国による不法占拠は今も続く。地元の島根県は、竹島の領土編入100年に当たる2005年、2月22日を「竹島の日」とする条例を制定し、領有権をめぐり韓国側の批判の矢面に立たされてきた。日韓の領土紛争を解決する道はあるのか、島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二氏と、南山大教授の平岩俊司氏に聞いた。

 

 

資料発掘で再確認

 

島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二氏

 

竹島問題は新たな段階に入った。05年に島根県が「竹島の日」条例を制定したことが契機になり、14年の内閣官房領土・主権対策企画調整室の活動開始、17年の外務省補助金事業による日本国際問題研究所(東京都千代田区)内の領土・歴史センター設置、18年の領土・主権展示館開設など政府も取り組みを強化し、ウェブ空間を含む主張の発信重視へと局面は変化した。これは韓国も同様だ。

 

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発信強化のため、資料発掘は欠かせない。私は日本国際問題研究所の依頼に基づき、海外の公文書館でサンフランシスコ平和条約関連の調査を進めた。知られているように、米国は竹島を日本領として残すことを1949年末には決めており、竹島を要求する韓国側へ51年8月に伝えた。いわゆる「ラスク書簡」だ。ところが、翌52年4月に条約が発効する3カ月前、韓国は一方的に「李承晩ライン」宣言を行い、広大な海域に主権を行使すると主張して竹島を取り込んだ。

 

問題の焦点は「日本は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及(およ)び請求権を放棄する」とした平和条約の第2条a項だ。韓国はこの3島に竹島を加えようとしたが、米国に拒絶された。

 

韓国は、「51年7月に竹島を要求したのは米国の韓国大使館だったので十分な根拠を示せなかった」と言い訳をする。しかし、韓国の本国政府も米国と豪州に竹島を要求していた資料を調査で見つけた。本国政府も領有の歴史的根拠、つまり05年の竹島編入前に韓国領であった事実を示せなかったことが明らかになったのだ。竹島は「本土の南にある程度の距離に位置する」と豪州に説明するなど、本国政府は地理認識もずさんで根拠なしに竹島を要求した実態を資料から確認できた。

 

韓国政府系シンクタンクの「東北アジア歴史財団」は「ラスク書簡は連合国全体ではなく米国だけの意見で、独島(トクト、竹島の韓国側呼称)の領有権決定にいかなる効力も持ちえない」と主張する。確かに、英国が51年4~5月の米国との協議で提出した草案で、竹島を日本領から外していたことがあった。しかし、英国がオランダに協議結果を伝えた資料が見つかり、英国がその案を取り下げていたことが再確認された。

 

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また、53年にニュージーランド外務省が作った資料も新たに確認し、そこには「韓国の不満の示唆にもかかわらず、韓国が望んだ意味での第2条a項の修正は行われることなく、条約は最終的に調印された」とあった。NZもその情報源だった豪州も、竹島が日本領に残ったという共通認識を持っていたのだ。

 

米国が、条約草案に対する各国の意見を51年8月にまとめた資料によると、第2条a項への竹島の追加を求めたのは韓国だけだった。つまり、「韓国の要求は竹島領有権の決定にいかなる効力も持ちえない」という認識が正しい。

 

竹島教育で先行する韓国は、05年の竹島編入を「侵略だ」と教えることに力点を置くが、これは見過ごせない。竹島問題の被害者であるはずの日本を加害者にするからだ。

 

朝鮮半島の政府が同年以前に竹島で行政措置を執行した事実は何も確認されていない。また、現在の日本の領域を決定したのはサンフランシスコ平和条約であり、竹島は条約に基づき日本に残された。これらを強く発信せねばならない。

 

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韓国の言い分を認めれば、日本の未来の世代に負債を残す。それは日韓両国にとって不幸なことだ。

 

聞き手:小林宏之(産経新聞神戸総局)

 

藤井賢二(ふじい・けんじ)
島根県竹島問題研究顧問。昭和30年、島根県生まれ。専門は海洋をめぐる近現代の日朝・日韓関係史。島根県竹島問題研究会委員、日本安全保障戦略研究所研究員、著書に「竹島問題の起原-戦後日韓海洋紛争史-」(ミネルヴァ書房)。最新の論考に「サンフランシスコ平和条約の領土条項と竹島」(日本国際問題研究所HP掲載)がある。

 

 

司法委ねれば不満残す

 

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南山大教授の平岩俊司氏

 

日本が現在抱えている領土問題は、竹島と北方領土があるが、いずれも日本の施政権が及んでいない現状を解消するのはかなり困難だろう。ロシアは北方領土問題を認めているにもかかわらず、返還交渉は進展がみられない。竹島をめぐっては、韓国政府は領土問題と認めず、むしろ歴史問題と位置付けていることから、韓国側が日本の主張を受け入れて返還することは期待できない。

 

韓国では、竹島問題は韓国併合と結びついた歴史問題として組織的に教育されてきた。竹島は1905年に日本政府が命名し、領土に編入した歴史があるが、韓国側の主張では10年の日本による韓国併合の過程で「独島が奪われた」とされている。保守、リベラルを問わず、韓国人にとって竹島は韓国の領土であり、韓国併合は「不法」だったというのが共通認識となっている。

 

51年に始まった日韓の国交正常化交渉においても竹島の領有権問題は存在していた。65年の日韓基本条約締結にあたり、竹島問題を棚上げするとした「密約」が存在したかは明らかでない。ただ、当時の両国政府には、日韓が互いに竹島の領有権を主張することを認め、この問題が日韓関係全体に影響を及ぼすことがないよう「管理」する考えがあったのだろう。

 

背景には、安全保障協力や経済協力、98年の日韓パートナーシップ宣言以降に増えた人的交流という3つの領域で、日韓が重要な関係を構築してきた事情があった。韓国の歴代政権は日韓関係を重視し、歴史問題に蓋をしてきた。

 

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ところが、2005年に島根県が「竹島の日」を制定したことをきっかけに、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は歴史問題で対日姿勢を強硬化させていった。12年に李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島に上陸してからは、竹島問題は「管理」できない状態となった。

 

1965年の国交正常化では、日韓は韓国併合条約の法解釈をめぐり「もはや無効」という表現で玉虫色の決着を図り、竹島問題の解決は先延ばしした。しかし、文在寅(ムン・ジェイン)政権下では従来の日韓関係の原則に反する動きが相次ぎ、竹島問題は「戦後最悪」といわれる日韓関係を象徴する問題となっている。

 

昨年11月には韓国の警察庁長官が竹島に上陸したことを受け、日米韓の外務次官協議の共同会見が中止され、日韓の溝を露呈した。また、竹島周辺では2019年以降、中国とロシア軍機が共同飛行を繰り返している。中露には、米国を軸にした日米韓協力体制を揺るがす意図があるとみられるが、偶発的衝突が起きれば地域の緊張が高まる懸念もある。

 

領土問題は、関係国の双方が納得できる解はなく、ほかの外交問題のように長期的な利害調整で解決できるものでもない。

 

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日本は過去3回、国際司法裁判所に付託することを韓国政府に提案し拒否された。韓国政府は竹島に建築物を建設し、警備隊を配置するなど「支配」を続けている。日本側は、韓国が李承晩ラインの内側に竹島を入れた時点で異議申し立てしているため、こうした支配は国際法的には評価されないとはいえ、最終的にどのような判断がなされるかは不透明との見方もある。もとより司法に委ねれば、どちらかに不満が残る結果となり、日韓関係が破綻するおそれもある。

 

日本政府は韓国に繰り返し日本の主張を伝え、国際社会に一貫した日本の立場を示していくべきだ。

 

聞き手:石川有紀(産経新聞外信部)

 

平岩俊司(ひらいわ・しゅんじ)
昭和35年、愛知県生まれ。南山大アジア・太平洋研究センター長、総合政策学部教授。東京外国語大朝鮮語学科卒。慶応大大学院法学研究科単位取得、法学博士。専門は、朝鮮半島をめぐる国際関係。著書に「北朝鮮はいま、何を考えているのか」など。

 

 

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