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天皇を知ることは「日本」という国のあり方を知ること

日本および日本人にとって「天皇」とは何か。このことを語ることは、たやすいことではないが、一方で天皇を語ることは、日本を語ることでもある。それはなぜか。

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日本および日本人にとって「天皇」とは何か。このことを語ることは、たやすいことではないが、一方で天皇を語ることは、日本を語ることでもある。それはなぜか。御代替わりが本年行われるにあたって、わずかではあるがその意義と役割についての私見を述べてみたい。

 

ヨーロッパ、中東、アジア、アフリカをはじめ、一九〇を超える世界各国のなかには国王を戴く国家はいまだ数多くある。そのなかで、日本の皇室・天皇は、二〇〇〇年以上の歴史をもち、かつ一二五代、「万世一系」と呼ばれる一つの血統によって続いてきたことが一つの特徴であるといえよう。

 

本年、平成三十一年、西暦でいえば二〇一九年は、その天皇が交替する年にあたる。天皇が交替するのは単に天皇という地位を持つ「人」が代わるのではなく、「御代(みよ)」と呼ばれる天皇の治世、つまり天皇を中心して築かれた一つの時代が変わることでもある。そのことは、現在、日本のみで使用されている「元号」というもの一つを取り上げても明らかである。

 

これまで二四七の「元号」が使用され、かつては一代の天皇で何度も元号が変わることもあったが、それは、元号の制定が、統治や祭祀など天皇の持つ大権のうち、日本という国における「時」を掌る天皇の大権の一つでもあるからである。それゆえに六四五年の「大化」の元号の制定以来、これまで元号の制定にあたっては、天皇が最終的にその元号を御聴許(ごちょうきょ=容認し、使用を許可すること)あそばされてきた。

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「大正」や「昭和」、「平成」という、それぞれの元号においても法制度上の変化はあっても、天皇が最終的にその元号を御聴許されるという点では同じ手続きが取られており、その一方で天皇の治世そのものが、日本における歴史の中で、時代区分、歴史区分とされてきた事実からみても明確である。

 

また、天皇は日本において歴史上、政治、経済、文化、芸能などの面で重要な位置、中心的な役割を占めてきたことはいうまでもないが、天皇は歴史的にみても日本人の精神生活の基盤的な存在でもある。現在では、賢所(かしこどころ)・皇霊殿(こうれいでん)・神殿(しんでん)とよばれる宮中三殿をはじめ、山陵、伊勢の神宮や勅祭社(ちょくさいしゃ)と呼ばれる神社(天皇が直接にお供えものを奉る神社十六社)などを通じて、歴代の天皇および日本の神々への祭りと人々の平安と国家の安泰の祈りを支えてきた。その天皇の神祭りの中で最大かつ最高となるものが、まさに御代替わりの際に執り行われる即位儀礼の中の一つ、大嘗祭(だいじょうさい)である。

 

このたび四月三十日に行われる退位の儀礼ののち、翌五月一日に行われる「踐祚(せんそ)」の儀礼は、剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)と呼ばれる三種の神器を受け継ぐことで、天皇の皇位を受け継いだことを示す儀礼でもあるが、次いで十月に行われる「即位の礼」は、いわば、欧州の各王国における戴冠式と同様、王位継承の儀礼と共通するグローバルスタンダード的な儀式であるといえる。これに対して、「即位の礼」の後、十一月に行われる大嘗祭は日本独自の皇位継承儀礼である。

 

大嘗祭は、日本社会に古くからある稲作・農業の収穫儀礼に根差したものである。その大嘗祭の中心的な行事は皇祖、天照大御神をはじめ、天つ神(あまつかみ)、国つ神(くにつかみ)と呼ばれる国内に鎮まる多くの神々へ、その年に特別な田んぼで作ったお米をはじめとする新しい穀物をお供えし、天皇みずからもその穀物をお召し上がりになることで、神々に感謝の念とともに日本という国および国民の安泰とそれから米をはじめとする穀物の豊穣をお祈りする儀式である。大嘗祭は、天皇にとっては、毎年十一月に行う新嘗祭(にいなめさい)という類似した祭りもあるが、特別に国内に二か所の「斎田(さいでん)」と呼ばれる田んぼの場所を亀卜(きぼく)と呼ばれる亀の甲羅を用いた占いで決定し、その田にて稲や粟を育て収穫するという点、天皇にとっては一代に一回しかできない祭りであり、かつ特別に殿舎を設けて行う祭りで、天皇の祭りの中で最大規模であるという点で最高かつ特別な祭祀である。

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さらには、至上の神事であるがゆえに、古くから卜占(占いを行い、神の神意を伺うこと)と潔斎(身を清めること)を重視してきた。また、その祭儀の期間も一年もしくは半年を経て完了となるものであり、長期にわたる継続的な準備を伴う祭儀という点でも他の皇室祭儀と比べても著しく相違する。米や粟を収穫する田んぼは、国内に新たに設け、収穫し、大嘗宮(だいじょうきゅう)という殿舎に収めるという点でも国民とともに行う祭りでもある。この祭儀が応仁の乱以降、国内の内乱や武家政権による政治的配慮による中断があったものの、一三〇〇年にわたって継続して行ってきたところに、天皇が我が国の精神的・文化的象徴である意義・役割の一つがある。

 

日本では、平安時代や鎌倉・江戸時代のように、時代によって貴族や武士などにより政治の実権が握られようとも、名目的には必ず、天皇よりの委任を受けたとの名目のもとに政治が執行されてきた。つまり、一二五代にわたって国家の権力、権威の源泉・象徴となって日本および国民を統治し、国民から仰がれてきた事実がある。その事実を示す一つの事例としては、日本における神話を記した『古事記』では、天皇の先祖にあたる皇祖、天照大御神の子孫にあたる者が、日本を統治する際には「シラス(治らす)」の言葉を使用し、天照大御神の子孫でない者が日本を統治する際には、「ウシハク(領く)」の言葉を使用するという、使い分けがなされてきたことが挙げられる。その点でも日本および日本国民にとって、まさに日本という国の国土を単に領有、占有する存在ではなく、精神的・文化的に統治する特別な存在が天皇であるともいえるが、その精神的・文化的な根幹にあるものは、先に掲げた天皇が行う、天照大御神をはじめ、日本の神々への祭りと祈りの姿である。

 

天皇の先祖にあたる天照大御神は、日本神話に登場する神の中で、中心的な神であるが、大御神の孫、ニニギノミコトに日本の国土に降り立って統治することを委任された。さらに、天照大御神はその折に孫のニニギノミコトに米作りと、神祭りをも託されている。その米作りと神祭りの委託を儀礼としても示したものが、大嘗祭である。

 

第四〇代の天武天皇の御代以降、神から委任された米作りと神祭りの伝統を今も大嘗祭という皇位継承という儀礼の中に取り入れてきたことは、まさに、古代から現代に至るまで、神々と天皇と国民との絆を深め、日本という国を最善に治めるための一つの方策を指し示したものであるといえよう。

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著者: 國學院大學准教授 藤本頼生

 

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