反捕鯨というファシズム

 

 

民主主義国家とそこに暮らす人々の共通の敵とは、左右の全体主義ではないか。この敵と戦うために、知恵を絞り、手を取り合うことが何よりも求められるのに、クジラをめぐっては民主主義国家のリーダーと目される国々と国民が、率先して全体主義に傾き、自分たちの意に沿わぬ国々に圧力をかけている。

 

人間は地球環境の一部であり、環境を破壊すれば、いずれ人間も滅亡する。本能を失い理性に支配されるようになった人間は、産業革命以降、利益に目がくらみ、再生不能になるレベルの環境破壊をやってきた。動物にしろ植物にしろ、これまでにいくつの種を絶滅させてきたことか。こうした反省を踏まえ、地球環境保護のため世界レベルで議論し協調しようと、さまざまな国際機関が設立された。第二次世界大戦後に設立された国際捕鯨委員会(IWC)もその一つだ。

 

クジラ資源の持続的利用と捕鯨産業の秩序ある発展を図ることを目的に捕鯨国を中心に設立されたものの、いつのまにやら、それが反捕鯨国に牛耳られ、一頭たりともクジラを捕獲すべきでないという主張がまかり通るようになった。

 

絶滅の可能性があるクジラの捕獲を禁ずるのは当然だ。しかし、ミンククジラのように絶滅の危機を抜けたとされるクジラを、科学的調査に基づいた枠の中で捕獲することまで環境保護の美名のもとに禁じることには、疑問を感じざるをえない。

 

 

根底には優生思想が

 

人間は他の生物の命をいただかないと生きてゆけない。そこに菜食、肉食の差はない。それゆえ、環境破壊につながらぬように注意を払いながら、他の生き物を捕獲・採取・飼養・栽培してその命をいただく。それがわれわれの生き方の基本だろう。

 

アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの反捕鯨国は、捕鯨の全面禁止を主張する。その昔、彼らは灯火用燃料、機械用潤滑油など多様な用途があった鯨油ほしさに、大西洋、次いで太平洋で乱獲を重ね、クジラを絶滅寸前にまで追い込んだ。ところが、石油が鯨油に代わるようになり、産業としてのうまみがなくなると、利に敏(さと)い彼らは捕鯨から早々に撤退し、食べるためにクジラを捕獲する国々を「野蛮」と非難するようになった。クジラのすべてを大切に利用してきた日本人に対して無礼だ。「お前たちにだけは言われたくない」と私は思う。

 

かくいう私は山口県下関市の近郊に生まれ育った。昭和30年代、裕福ではなかったわが家の食卓にもっとも多くのぼった肉はクジラだった。小学校の給食にもよく出てきた。赤身は網焼きか竜田揚げにしてショウガ醤油(じょうゆ)で、オバケと呼ばれる尾っぽの白い部分はゆでて酢みそでいただいた。クジラは庶民の日常食であり、貴重なタンパク源だった。下関市には捕鯨で知られた大洋漁業(現マルハニチロ)の拠点があったため、おそらく日本のどこよりも鯨肉を安価に入手できたのではなかろうか。クジラは哺乳類ではあるが、魚屋で売られていた。

 

反捕鯨国の言い分は「知能の高いクジラは人間の友人だ。それを殺すなんてもってのほか」というもので、ほとんどカルト宗教の域に達している。そもそも本当にクジラは知能が高いのだろうか。自分たちがいだく勝手な幻想をもとに、他国を折伏するような行為は慎んでほしい。それにだ、ここがもっとも大事な点なのだが、知能の高さによって、保護すべき動物と食べてもよい動物とに仕分けする思想は、優生思想と同根ではないか。それはクジラを捕獲して食べる民族とその文化に対するあからさまな差別につながっている。彼らはクジラ保護を訴えることで、自身が差別主義者であると宣言しているのだ。こんな相手に、これまでわが国が蓄積してきた科学的データをもとに商業捕鯨の再開を訴えたところで、何も変わるはずがない。相手はカルトだ。私はIWC脱退の決断を断固支持したい。

 

そもそも戦後日本人は、国際連合をはじめとする国際機関を妙にありがたがるところがある。昭和8年に国際連盟を脱退、ドイツ、イタリアとの枢軸結成に突き進み、その結果味わった悲劇と屈辱がトラウマになっているのかもしれない。IWC脱退の決断は、戦後日本人が国際機関幻想から目覚めるよい機会になるかもしれない。そして間違いなく、これから反捕鯨国や先鋭的な環境保護団体からさまざまな攻撃が仕掛けられてくるだろう。ひるむな日本! 闘え日本! 商業捕鯨再開は、文化の多様性を守る闘いののろしだ。

 

 

クジラ食文化の効果的PRを

 

平成5年5月25日付の本紙夕刊に興味深い人物が登場している。上方落語の笑福亭猿笑(現・円笑)さんである。同年5月4日、米国のニューヨーク・タイムズに「なぜ捕鯨を悪と決めつけるのか」と米国民に問いかける意見広告を出したのだ。「鯨くらい食べなくてもいいではなく、自分たちの手で鯨の文化を守る必要があるんです」「食べ物のことで、どうして外国人に文句を言われるのか」と猿笑さんは動機を語っている。掲載費用約100万円はポケットマネーだった。

 

商業捕鯨が再開された7月1日、京都市に暮らす円笑さんに電話で感想を聞いた。最初に尋ねたのは、26年前の意見広告に対する反応についてだ。大学教授らアメリカのインテリから約380通の反論がエアメールで届き、そのほとんどは「日本は野蛮な国だ」という感情的な非難だったという。再開について円笑さんはこう語った。

 

「当時、(環境保護団体)グリーンピースの人々とも話し合う機会がありましたが、クジラを環境保護のシンボルに仕立て上げる彼らに捕鯨国の文化に対する敬意はいっさい感じられませんでした。クジラをめぐる事態はあの当時のまま今日に至りました。IWC脱退という決断は致し方ないと思います。気がかりなのは、わが国でクジラの食文化が断絶していることです。せっかく商業捕鯨を再開しても、需要がなければどうにもならない。政府は若い人に向けた効果的なPRの戦略を練るべきでしょう」

 

最後に自戒を込めて反捕鯨国の人々にモンテーニュの言葉をささげておきたい。

 

《本当に我々は、自分の住む国の思想習慣の実際ないし理想のほかには、真理および道理の標準をもっていないようである》(第1巻第31章「カンニバルについて」)

 

※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。

 

筆者:桑原聡(産経新聞文化部)

 

 

この記事の英文記事を読む

 

 

Author:

Satoshi Kuwahara is a senior writer with the Sankei Shimbun, Culture News Section.

Leave a Reply