【ラグビーW杯】元日本代表の主将が参加国国歌で応援

 

熱戦が始まったワールドカップ日本大会。世界最高峰のプレーが繰り広げられる中で、前回大会日本代表メンバーで、主将も経験した広瀬俊朗さん(元東芝)は、グラウンド外で大会成功に向けてユニークな活動に力を注いでいる。

 

今年に入り、ワールドカップ参加国の国歌を日本人が歌い、海外からやって来る選手、ファンを歓迎しようという「スクラム・ユニゾン」を結成して、すでに開幕前までに全国30カ所近くの地域でラグビー関係者、ファンやファン以外の市民とともに多くの国の国歌を斉唱してきた。

 

日本中を熱気に包んだ2015年ワールドカップ後に現役を引退した広瀬さんだが、このアイデアを持つようになったのは現役時代に遡る。

 

「日本代表だったときに、代表では君が代を歌うような文化がなかった。でも勝っているチームってみんな歌っているなと感じたんです。だから僕たちも国歌を練習して、選手たちみんな歌えるようになった。代表戦で国歌を歌うのっていいな、最後の覚悟決まるなという思いがあったんです」

 

選手としての国歌斉唱の重要性を理解した一方で、引退前から常に思い続けていたのが、広瀬さんはじめチームを熱心に応援してくれるファンのことだった。

 

「チームでは国歌を歌うという文化ができたので、今度はお客さんを巻き込みたいなと思っていたんです。選手辞めたんで、お客さんも一緒に国歌を歌えたらいいな、今度はファンを巻き込みたいなと考えていました。例えばスコットと試合したときって、すごいじゃないですか。あの雰囲気を日本の皆さんに味わってほしいなと」

 

広瀬さんが例えに挙げたスコットランドは、イングランドを中心とした英国の一地域だが、ラグビーや文化面では独立した〝国〟として扱われている。エジンバラにあるスコットランド・ラグビーの聖地マレー・フィールドでは、「フラワー・オブ・スコットランド」というスコットランドのフォークソングを選手、ファンが一体となって熱唱する。その熱気や高らかな歌声には、魂まではイングランドに支配されないというスコットランド人の誇りが込められている。

 

現役時代に、すでにラグビーの試合での国歌の重要さ、文化的な背景を理解していた広瀬さんにとって、思い描いていたアイデアを実行に移すのを後押ししてくれたのが日本でのワールドカップ開催だった。

 

「ただアイルランドやスコットランドの試合を見ただけじゃなくて、あの国歌斉唱を体感できれば最高だし、海外から来る選手もファンも喜んでくれる。すごくいいおもてなしだなと思うんです。日本代表だけにとらわれず、いろんな国の人たちを歓迎して、リスペクトの気持ちを伝えるために何かをやりたかった」

 

5月から実際の活動が始まったが、相談したイベント会場などでも最初は苦戦を強いられた。この企画が何をやっているのか、何がやりたいのかを理解してもらえないことも少なくはなかった。だが会場で広瀬さんらが説明し、リードしながら歌い始めると雰囲気は一変したという。

 

「実際にやってみると、こんなにいいいものだったのか、もっとやりたいという声があった。開幕前の北九州もすごかったし、熊谷、府中もすごく熱心に取り組んでいただいてます」

 

常に所属チームでリーダーシップを発揮し、試合を読む冷静な判断力から知将ともいわれてきた広瀬さんだが、このイベントの〝広がり〟という着眼点が素晴らしい。ワールドカップ、とくに日本戦などの人気カードはチケットを手に入れるだけでも難しい。しかも観戦者の多くは熱心なラグビーファンだ。

 

「なので、試合を見にいけなくてもサポートできる活動がいいのかなと思いました。チケットなくても、パブリックビューイングやファンゾーンでもいいし、そこらの居酒屋でもいい。そこでみんなで一緒に国歌を歌って、ワールドカップの楽しみ方も、楽しめる人たちも幅が広がればいいなと思うんです」

 

実際に広瀬さんがイベントで一緒に国歌を歌った人たちを観察していると、最初は遠慮がちに歌っていた人も最後は参加者と一体感を持って歌っていたという。歌う前よりも、歌った国歌のチームや選手へ、すこしでも関心やシンパシーを持ってもらえれば、このイベントの目的の半分は達成されたことになる。

 

日本代表が熱戦を続ける中で、広瀬さんは大会期間中も様々なイベントやパブリックビューイングなどで活動を続けていく方針だ。チケットを持っていないから本来なら〝部外者〟になる多くの人たちを、「歌」を媒介としてワールドカップという〝お祭り〟に巻き込み、部外者を当事者にする効果も期待している。

 

大会期間中にどこまで楕円球の輪を広げていけるのか。ピッチの外での元代表主将の挑戦が続く。

 

 

広瀬 俊朗(ひろせ・としあき)

1981年大阪府吹田市生まれ。5歳のときに吹田ラグビースクールでラグビーを始め、大阪府下有数の進学校、北野高校でもSOで活躍して慶大―東芝と、所属するチームですべて主将を務めた。東芝時代はWTBでも、司令塔を兼務する独自のスタイルで、チームのトップリーグ制覇に貢献。2007年に日本代表入りして、12年には、エディー・ジョーンズHCが就任後に主将に任命。2015年ワールドカップ後のオフシーズンに現役を引退。東芝のBKコーチなどを務め、今年2月に退任と同時に東芝を退社。

 

筆者:吉田宏(ラグビー・ジャーナリスト)

 

 

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Hiroshi Yoshida

Author:

Hiroshi Yoshida is a freelance journalist on sports and rugby. Joining the Sankei Sports in 1989, Yoshida has been writing rugby stories since 1995. As a Sankei Sports reporter, he covered the Rugby World Cup for five consecutive games until the 2015 England. As a field reporter, he witnessed two of Japan’s big games: men’s football team’s win against Brazil at the Atlanta Olympic Games in 1996 and the victory against South Africa at Rugby World Cup 2015. He left Sankei in April 2019.

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