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【主張】昭和天皇と戦争 反省と再軍備に矛盾ない

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終戦後の昭和24年から28年にかけて、昭和天皇と田島道治(みちじ)初代宮内庁長官が交わしていたやり取りの詳細な記録が明らかになった。

 

田島長官が18冊の手帳やノートに個人的に書き残していた「拝謁(はいえつ)記」である。拝謁は600回以上にもわたる。

 

先の大戦などを経て、戦後の連合国による占領を体験されていた当時の、昭和天皇の「肉声」だ。激動の時代の一級史料といえる。遺族から提供を受けたNHKが、その一部を公表した。

 

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27年5月の日本の主権回復を祝う式典でのお言葉をめぐって、昭和天皇は先の大戦について「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(同年1月11日)など、悔恨の念を盛り込みたい意向を示された。だが、当時の吉田茂首相らの反対で草案から削られた経緯が分かった。

 

昭和天皇は、領土の一部を失ったことや、戦死傷者や日本への未帰還者など戦争の犠牲者のことを思われ、主権回復について「少シモ喜ブベキデナイ」(26年7月26日)と、複雑な心境も語られていた。日本や国民を第一に思われるお人柄が改めて分かる。

 

ご自身の戦争への反省、悔恨の念に加え、軍や政府、国民についても「下克上(げこくじょう)とか軍部の専横を見逃す」(27年2月20日)など「皆反省して繰返したくないものだ」(同)とも述べられていた。
その昭和天皇が、主権回復を前にした27年頃、日本の再軍備やそのための憲法改正の必要性に言及されていた意味は極めて重い。

 

「再軍備によつて旧軍閥式の再抬頭(たいとう)は絶対にいやだが 去りとて侵略を受ける脅威がある以上 防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬと思ふ」(同年5月8日)からで、憲法改正についても「軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいヽ様ニ思ふ」(同年2月11日)と指摘された。

 

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戦争の反省と、再軍備の間に、矛盾はない。

 

昭和天皇は、この現実的な安全保障観を吉田首相に伝えようとされた。日本の平和と国民の安全に心を砕かれていたからだ。天皇は「国政に関する権能を有しない」(憲法第4条)が、現憲法でも日本の立憲君主である。命令ではないお考えを首相に内々に伝えることまで禁じられると解するのは行き過ぎだ。田島長官のいさめで実現しなかったのは残念だった。

 

 

この記事の英文記事を読む

 

 

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