第31回世界文化賞 受賞者の顔ぶれ

 

絵画部門 ウィリアム・ケントリッジ


木炭による素描をコマ撮りした「動くドローイング」と呼ばれる独自のアニメーションに、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)の歴史や社会状況を反映させ、1990年代から世界的な注目を集めてきた。

 

リトアニアから移住したユダヤ系南アフリカ人の家系で、祖父母も両親も弁護士。アパルトヘイトに反対する活動家を擁護する両親のもとで育った。

 

パリで演劇を学び一時は俳優を志す。南アフリカに戻り、30代後半にたどりついた「動くドローイング」は、木炭画を部分的に消しては描き加えていくという変化を一コマごとに撮影してつなげた動画。現代のアニメーションとは対照的で素朴だが、時間の重厚さや寓意(ぐうい)に満ちた表現性を獲得している。

 

世界的な名声を得たシリーズ「プロジェクションのための9つのドローイング」の中で自身も代表作に挙げる「流浪のフェリックス」は、初めて民主的な選挙が行われた1994年の作品。死体が風景から消えていく場面が印象的だ。

 

「選挙後には祝杯を挙げることは分かっていたものの、その前に亡くなった人の記憶や犠牲にしたものは消え去るのだろう。同じように景色も、過去に起きたことを覆っていくわけで、景色と記憶はとても似ていると思った」と語る。

 

近年は、サウンド、ダンス、フィルムなどが重層的に融合する総合芸術に意欲的。「ザ・ヘッド・アンド・ザ・ロード」(2018年)は、第一次世界大戦で荷物担ぎとして動員されたアフリカ兵の戦争参加を題材に、欧州の現代思想とアフリカの歌の伝統の交錯を描き、高く評価された。

 

植民地主義や独裁に排除された「不確実性にあふれた世界」を表現しようとする知的探求が、全く新しい作品群を創りあげた。

 

 

彫刻部門 モナ・ハトゥム


多様なアイデンティティーを持つ芸術家だ。パレスチナ人の両親のもと、レバノンの首都ベイルートで生まれた。一時期はベルリンで創作活動を行い、現在はロンドンを拠点とする。

 

「私のルーツは中東。そのことで私は少し違った価値観を持っています。極めて多岐にわたる異質な文化を経験しているのです」

 

主に扱うのは、空間全体を作品として体験させるインスタレーション。時には自分の体を“素材”にするなど、使う材料は幅広い。普通の家具やありふれた家庭用品でさえ、ひとたび作品になると印象は一変。恐怖や不安感を覚える一方、ユーモアも感じるなど、複雑な感情が芽生える。

 

「私は『気味の悪いもの』に興味を抱いています。完全にノーマルであった状況が、些細(ささい)なことが原因で急に不思議なものに変わることがあります。トラウマに満ちた連想を呼び、心配・不安・恐怖の感情が生まれるのです」

 

1975年、英国旅行中にレバノンで内戦が勃発。家族と離ればなれのまま帰国できなくなり、自らの意志に反し「亡命者」となった。ロンドンの美術学校に入学し、制作を開始。作品は世界の現代美術展で取り上げられ、最も注目される芸術家の一人となった。2016年には英テート・モダンで回顧展が開かれた。

 

17年、ヒロシマ賞を受賞。被爆地である広島への訪問に触発された作品「その日の名残」は、金網で覆った木製の家具を燃やし、黒焦げの残骸にしたもの。紛争や災害などにより、日常がある日突然奪われる-という悲劇が誰の身にも起こり得ることを、完成度の高いアートの形で示した。

 

「洗練の極致、細部へのこだわり、ミニマリスト的な審美眼…。私の作品は日本文化から多くの影響を受けています」

 

 

建築部門 トッド・ウィリアムズ&ビリー・ツィン

デザインの動機は建築への共感だ。高層ビルや商業的なプロジェクトには興味を示さず、学校や美術館などを中心に手掛ける。

 

「同じ価値観のないプロジェクトには取り組めません」とツィン。建物がどのように利用されるかを重視して素材や構造、光などを緻密に分析。素材へのこだわりは強く、特定の木や石、金属などを使って“手作り感”のある穏やかで心地良い空間を作り出す。

 

代表作は、米フィラデルフィアの「バーンズ財団美術館」(2012年)。庭園に囲まれた郊外の邸宅美術館を都市部に移転するプロジェクトで、ルノワール、セザンヌ、マチス、ピカソなどの絵画約900点以上を、展示方法まで復元する異例の挑戦だった。

 

館内に中庭を設計して庭園に雰囲気を再現。美術館の内部は、荘厳さを保ちつつも光が差し込み、静かな外観とは対照的な空間が広がる。「私たちのデザインする建築は『人間みたいだ』と言っています。中に入ったら驚きで包み込みたい」とツィンは語る。

 

中西部ミシガン州で生まれたウィリアムズと、中国系米国人でニューヨーク州出身のツィン。1977年から協働し、86年にパートナーに。異なる文化的背景を持つ2人は「意見が合わず、議論になる」と笑うが、「ビリーと一緒に仕事をするのが好き。別々で多くの仕事を引き受けると質は半減してしまう」とウィリアムズ。

 

カリフォルニアの「神経科学研究所」(95年)、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の拡張のため2014年に取り壊された「アメリカ民族芸術美術館」(01年)を始め、香港やインドでもプロジェクトを成功させた。シカゴの「オバマ大統領センター」(22年完成予定)の設計者にも選ばれ一段と注目を集める。

 

 

音楽部門 アンネ=ゾフィー・ムター

「バイオリンの女王」と呼ばれ、絶大な人気を誇るドイツ人演奏家。13歳で世界的指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに見いだされ、華麗なデビューを果たした。「彼にとって、私が唯一のソロ・バイオリニスト。頭が下がると同時に、大変光栄に思います」

 

細かい独特のビブラートなど卓越した演奏技術と表現力を持つ。カラヤン指揮のベルリン・フィルと共演し、モーツァルトやベートーベンらの名作協奏曲を演奏。世界に数百台しか現存しないストラディバリウスを愛器に、小澤征爾ら世界の名指揮者や演奏家と共演を重ねた。これまで米グラミー賞を4度受賞。世界各国で1000万枚以上のCDを売り上げ、クラシック・バイオリニストとしては異例の販売枚数を達成した。

 

新ウィーン楽派やバルトークなど、近現代の音楽を得意とする。演奏のレパートリーは幅広く、ポーランドの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキなど現代音楽に対する理解の広さでも知られる。米作曲家ジョン・ウィリアムズとの共演では、映画「スター・ウォーズ」の音楽も弾いた。

 

後進の育成にも力を注ぐ。指導や奨学金の支援を行う財団を運営し、カラヤンら巨匠たちから受けた薫陶を次世代に伝える。東日本大震災の被災者やシリア難民らを支援する公演も実施してきた。

 

音楽活動、慈善・教育活動の両面で、長年にわたり高水準を保ち続けていることが世界各地で評価され、2017年、フランス芸術文化勲章コマンドゥール受章。19年、スウェーデンのポーラー音楽賞に輝いた。

 

自身の家に日本庭園を造り、盆栽や俳句に親しむなど、日本文化にも理解を示す。「日本の聴衆はクラシック音楽に詳しく、深い情熱を持つ人たち。私は日本に来るたびに感動します」

 

 

演劇・映像部門 坂東玉三郎


日本が誇る伝統芸能、歌舞伎を担う女形の最高峰であり、海外の芸術家にも影響を与え、「世界の玉三郎」としてたたえられる希有(けう)なアーティスト。舞台での圧倒的な大きさと美貌、優婉(ゆうえん)にして繊細、品格を感じさせる芸風は現代歌舞伎の大きな魅力である。歌舞伎の枠を超え、映像、音楽などさまざまなメディアで多才ぶりを発揮している。

 

幼い頃から踊ることが大好きだった少年は、十四世守田勘弥の養子となり、19歳で三島由紀夫・作「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」のヒロイン、白縫(しらぬい)姫に抜擢(ばってき)された。女形としては当時不利といわれた長身や清らかな風情は、新しいタイプの女形として時代の寵児(ちょうじ)となり、「玉三郎ブーム」が起きた。

 

「男でありながら女を演じる女形というのは大変不思議な役柄で、私は究極、自分の肉体を使って、一つの作品になるというふうに考えています」と、女形についての思いを語る。

 

謎のほほ笑みで男性を魅了する「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」の傾城・八ツ橋をはじめ、長らく玉三郎ひとりしか演じることのなかった「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」の阿古屋(あこや)など当たり役は数多い。

 

「演劇の根本でもあるのでしょうが、美と醜、善と悪、そういうものが複雑に絡み合っているお役にやりがいを感じますね」

 

また、沖縄の組踊(くみおどり)や中国の昆劇(こんげき)にも女形として出演、女形という芸の多彩な表現を突きつめている。

 

海外の芸術家にもインスピレーションを与え、世界文化賞受賞者のバレエダンサー、ミハイル・バリシニコフや振付家のモーリス・ベジャール、ポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダをはじめ、世界的チェリスト、ヨーヨー・マらとの数々のコラボレーションは、芸術の新たな地平を切り開くものとなった。

 

 

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