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奈良市の日本最大の円墳、富雄丸山(とみおまるやま)古墳(4世紀後半)で、過去に例のない盾形の青銅鏡と、東アジア最大となる鉄剣が見つかった。
ともに国産とみられており、デザインや大きさから古墳時代に高度な技術があったことがうかがえる。既に「国宝級」との評価も高く日本の古代文化の豊かさを知らしめる新発見だ。研究成果に期待したい。
奈良市教育委員会と県立橿原考古学研究所が発表した。いずれも墳丘から張り出した造り出し部で新たに見つかった未盗掘の埋葬施設から出土した。
鏡は長さ約64センチ、最大幅約31センチの青銅製で、他に類例のない盾形である。文様面には上下に2つの大きな円を描くように日本でアレンジしたという空想上の神獣「鼉龍(だりゅう)」を配す。一見盾の中に2枚の円形銅鏡を組み込んだような斬新なデザインだ。「鈕(ちゅう)」と呼ばれるひもを通す突起もあった。
一方の鉄剣は蛇のように波打った形状の「蛇行(だこう)剣」で、古墳時代に多く見られるタイプである。驚くべきは長さ約2・3メートル、幅約6センチというサイズで、従来の最大約85センチをはるかに上回る大きさだ。実用性は低いと思われる。
盾も剣も本来は武器であり、被葬者を邪悪なものから守る「辟邪(へきじゃ)」の意味があったという。
当時は王墓の前方後円墳が巨大化し、大和政権を主導する勢力は大和から現在の奈良市北部へ、さらに大阪平野へと移ったと考えられる。この円墳は奈良と大阪を結ぶ要衝にあり、中央墳丘に葬られたのは政権を支えた有力者だろう。造り出し部では木棺も確認され、その被葬者も関わりの深い人物だったはずだ。
注目は当時の海外情勢で、中国では西晋が滅亡するなど政権の後ろ盾となる「権威」も変化していた。その中で大陸からの渡来品をありがたがるのではなく、自分たちの力で新しいものを生み出そうとした人々がいた。その心意気や必死さを感じるのである。
盾形の鏡はその後、副葬品の主流にはならなかったようだが、古代日本人の挑戦の証しは、コロナ禍などで閉塞(へいそく)感漂う現代社会のわれわれを勇気づけてくれる。
市教委は今後、木棺内を調査する。古代の国家形成過程を考えるヒントがあるかもしれない。古代人から提示された多くの謎の全容解明に挑んでもらいたい。
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2023年1月30日付産経新聞【主張】を転載しています
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