東京五輪開会式で入場行進する日本選手団
=2021年7月23日、東京・国立競技場(ロイター)
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2度目となる東京五輪の開会式が国立競技場で行われてから1年がたった。本来なら「7月23日」は、日本のスポーツ界にとって輝かしい1日であるはずだ。
それが、どうだろう。
昭和の東京五輪開会式が行われた10月10日は「体育の日」(現在は「スポーツの日」、10月第2月曜)として記憶を残したが、今年のカレンダーでは普段と変わらぬ土曜日であり、五輪の名残をとどめた記載はない。
日本勢の活躍による興奮と感動の記憶が、時間とともに薄れつつあるとしても、聞こえてくるのは「負の遺産」という後ろ向きな評価だ。寂しいことではないか。
延期開催は正解だった
大会組織委員会が最終報告を行った開催経費は、立候補段階の7340億円からほぼ倍の1兆4238億円に膨らんだ。1500億円余りをかけて建て替えられた国立競技場は、後利用をめぐる議論の迷走が目につく。
巨額の公金が投入された以上、大会規模の膨張に至った経緯、経費の使途、採算などについて透明性が求められるのは当然だ。
だが、経費の多寡だけで成否を測るのは短絡的な発想だろう。大会が残した有形無形の財産を正しく評価した上で、これからの社会にどう生かすのか。1年という節目に腰を据えて考えたい。
新型コロナウイルス感染拡大という国難に直面し、史上初の1年延期という曲折を経験した。海外からの観客受け入れを断念し、開幕直前には原則無観客での開催という苦渋の決断も強いられた。
仮に中止を選択していれば、日本には何も残らなかったろう。
「延期」を提案した安倍晋三元首相、「開催」に踏み切った菅義偉前首相の決断は称賛されるべきだ。厳格な検査と隔離、大会規模の簡素化に伴う効率的な人員配置など、わが国は社会経済活動と感染防止の両立に挑んだ。感染爆発を起こさず大会を成功させたことは、世界に誇れる。
日本は史上最多27個の金を含む計58個のメダルを獲得した。人々の心を動かした「スポーツの力」も高く評価したい。
スケートボード女子パークで高難度の大技に失敗した選手をライバルたちが抱擁でたたえたシーンは、国境や人種などあらゆる違いを超えた汗と涙の価値を教えてくれた。人々の心を結び付けた「共感」の源がスポーツだったという事実を、改めて胸に刻みたい。
スポーツには社会を変える大きな力があることも、東京大会は示した。建物や街路、空港や駅など公共交通機関の拠点施設は、招致決定からの8年でバリアフリー化が大きく進んだ。ホテルなど民間の宿泊施設をはじめ、公共の場では通信環境が整った。
決して長くはない歳月の中で、街も人の心もホスト国にふさわしい変化を見せた。東京大会が、大がかりな社会資本整備の呼び水となったことは疑いない。
札幌に向け何を語るか
東京大会に向けられる批判の多くは、巨額の先行投資を回収する機会がコロナ禍で奪われたことにある。また「多様性」や「共生」を理念に掲げながら、組織委では女性蔑視と取れる発言などで、森喜朗会長や運営責任者の交代も相次いだ。舞台裏の混乱は、日本の恥部として世界に報じられた。
これらがひとくくりに「負の遺産」として記憶され続け、選手たちが残した輝かしい足跡への正当な評価がかすむとすれば、極めて残念である。
スポーツ界のあり方も厳しく問いたい。柔道やバドミントンなど東京大会の前後で競技団体の不祥事が相次ぎ露見した。スポーツの価値を自らおとしめた愚を猛省してほしい。2030年冬季五輪の招致を目指す札幌市が3月に行った道民・市民への調査では開催支持の声が6割に満たなかった。これは、スポーツ界の不始末と無縁ではあるまい。
この1年、日本のスポーツ界は何をしていたのか。
札幌招致の支持率について、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は「このままでは厳しい」と述べたが、もう一歩踏み込んでほしかった。それは東京大会で示したスポーツの力を「冬の札幌でも」という熱意であり、東京大会のどたばたに辟易(へきえき)した人々を振り向かせる誠意である。世論を動かすために汗を流す覚悟があるのか。そこが知りたい。
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2022年7月24日付産経新聞【主張】を転載しています