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ロシアの侵略による戦火を逃れて、イリナ・ホンチャロヴァさん(63)は昨年4月、ウクライナ北部のチェルニヒウから、長男が住む宮城県石巻市に避難し、災害公営住宅で暮らしている。
「鎮魂の日」を忘れまい
9月からは、震災遺構の門脇小学校で月に2回、命の尊さについて来訪者に話すボランティア活動をしている。
長く小学校の教師をつとめたイリナさんにとって、津波と火災で廃屋と化した門脇小の校舎は、ロシア軍の砲撃で無残に壊された母国の学校と重なる。
大切な命を奪われる悲しさ。
故郷が破壊される哀(かな)しさ。
苦難からの脱却を願い、
立ち上がろうとする意思。
戦禍と災禍の違いはあっても、国境を越え、言葉の違いを越え、時間を超えて、イリナさんと被災地の思いは重なり、響き合う。
門脇小の周囲には墓地が多い。その中を少し歩く。
平成二十三年三月十一日
「あの日」が刻まれた墓碑がある。
12年の時が流れた。
十三回忌である。
死者 1万5900人
行方不明者 2523人
震災関連死 3789人
忘れることはできない、忘れてはならない。
今を生きる者が、東日本大震災のすべての犠牲者に心を寄せる「鎮魂の日」である。被災者と被災地の復興を支え抜く意思を、改めて心に刻みたい。
ロシアのウクライナ侵略は、1年を超えて終わりがみえない。戦火のなかで「平穏な日々を取り戻したい」と願うウクライナの人々がいる。
トルコとシリアの国境付近で2月6日に発生した大地震から1カ月が経過した。両国の死者は5万人を超える。住む家を失い、不安な避難生活のなかで支援を待つトルコ、シリアの被災者がいる。
小さくても、弱くても、支える力になりたい。
東日本大震災で同じ苦難を体験した被災者の思いであり、すべての国民が大震災のときに抱いた思いでもある。
東北の被災地の復興、再生は今も途上にある。それを前に進めながら、ウクライナの人々を、トルコ、シリアの被災者を支えられる国、支えられる人でありたい。
その思いを確かめ、共有する「震災忌」としたい。
津波火災の教訓学ぼう
石巻市は被災市町村の中で最も多くの犠牲者を出した。死者3277人、行方不明者417人、関連死276人。
なかでも、門脇小がある南浜・門脇地区の被害は大きく、地震の約1時間後に襲ってきた大津波とその後に発生した津波火災の延焼で、500人を超える住民が命を落とした。
学校にいた児童と教職員はただちに校庭に集合し、地震発生の15分後には訓練通り、校舎裏手の日和山公園(高さ約56メートル)への避難を完了した。しかし、鉄筋3階建ての校舎にはその後も、近くから避難した住民がいた。
燃え上がる住宅が津波に押し流され、校舎に迫った。児童らが歩いた避難路は水没している。避難住民は校舎と日和山に続く斜面の間を教壇で渡すなどして、津波火災から逃れた。
門脇小に達した津波は高さ1・8メートルで津波だけなら2、3階は無事だったが、火災により校舎のほぼ全体が焼け焦げた。
門脇小は、津波火災の痕跡を残す唯一の震災遺構である。津波を念頭に置いた垂直避難だけでは、命を守り切れない場合もある。平坦な津波浸水域では特に重要な教訓である。
門脇小が一般公開されたのは昨年4月からだ。各地の震災遺構の中では遅い指定となった。
「焼け焦げた校舎を見るのはつらい」と、解体を望む住民の声は強かった。大震災の記憶を風化させず、後世に伝えるために「校舎を残したい」という住民の思いも強かった。互いの心情が理解できるから、折り合いを付けるまでに長い時間を要した。
イリナさんの門脇小での活動は長い葛藤を経た被災地の「伝える意思」が「世界と繋がる力」にもなることを示している。
日本は災害多発国である。被災地の意思を共有し、苦しむ人たちを支え、復興と防災で国際社会に貢献していきたい。
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2023年3月11日付産経新聞【主張】を転載しています