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6千人余が犠牲となった阪神大震災から29年となった。
29年前、神戸の街は炎に包まれ、約63万棟の住宅が被害を受けた。高速道路は崩れ、都市インフラは崩壊した。だが、人々は力を合わせてがれきと化した街を復興した。
この震災の経験を生かし、能登半島地震の被災地にはさまざまな支援の手がさし伸べられようとしている。一方で受け入れ態勢が整わず、必要な支援が届いていないところもある。
被災自治体が担いきれない業務のサポートを調整するのは国の役割だ。阪神をはじめとする過去の災害の教訓を生かし、全力で取り組んでほしい。
岸田文雄首相は1月4日、能登半島地震の発生を受け、中央省庁の幹部級職員を石川県庁に派遣すると発表した。「『ミニ霞が関』を県庁に作る。東京としっかり連絡させて現地のニーズを把握する」と語った。
阪神大震災当時、被災した兵庫県や神戸市は全国からの派遣職員の配置どころか、支援要請にも手が回らなかった。
この教訓を踏まえて、国は被災自治体にパートナーとなる支援自治体を割り当て、ニーズに応じた支援を行う仕組みを制度化した。
能登半島地震では三重県が調整を担い、派遣の割り当てなどを主導した。
道路が寸断されるなど、支援の職員を容易に派遣できないところもある。マンパワーは不足しているが、被災地では一般からのボランティアの受け入れはまだ進んでいない。
現地の職員だけでは対応できないスキルや経験を持つ人を被災地と被災地外の双方でどう活用するかが大切だ。
阪神大震災では、1年で延べ約137万人がボランティアとして活動した。物理的な支援だけでなく、被災者の心のケアを含むきめ細かな救援活動は復興が進んだ後も続けられ、人々を長く支えた。
17日、、神戸市で営まれた阪神大震災の犠牲者追悼行事「1・17のつどい」では、紙灯籠で「ともに」の文字が作られた。能登半島地震の被災者へ「ともに助け合い、語り継ごう」との思いを込めたという。
私たちは立て直し、立ち上がることができる。これも阪神の教訓の一つだ。ともに助け合いながら語り継いでいきたい。
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2024年1月17日付産経新聞【主張】を転載しています