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日本ロケット開発の父、故糸川英夫博士は、敗戦から数カ月の間に人生最大のピンチを迎えていた。戦時中、「隼(はやぶさ)」など戦闘機の設計に携わってきた糸川さんの周りから、潮が引くように人が去っていった
代わりに押し寄せてきたのが、それまでの開発費用の請求書である。陸軍航空本部に掛け合っても、担当者は逃げ回るばかり。結局、家財道具をすべて売って支払った。GHQからは航空機の研究を一切禁止される。自殺を考える日々だった。
仕方なく脳波や音響工学の研究に取り組んだ。ブランクを経て、国産初の固体燃料ロケット「ペンシルロケット」の開発、実験に成功したのが昭和30年である。その後の宇宙開発は、糸川さんの弟子や孫弟子たちが担ってきた。
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3月9日付産経新聞【産経抄】より