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幕張メッセ(千葉市)などの建築で知られ、高松宮殿下記念世界文化賞とプリツカー賞を受賞した世界的な建築家、槇文彦(まき・ふみひこ)さんが6月6日、老衰のため死去した。95歳だった。葬儀は近親者のみで執り行った。
東京都出身。東大工学部建築学科を卒業後に渡米。ハーバード大学大学院を修了後、米国の大学の教壇に立った。昭和40年に槇総合計画事務所を設立。20世紀様式のモダニズム建築を追求し、洗練された作品で高い評価を得た。54年から10年間、東大教授を務めた。
代表作に幕張メッセ、京都国立近代美術館、東京都渋谷区のヒルサイドテラスなど。海外作品も多く、米同時多発テロによるニューヨークの世界貿易センタービル跡地に超高層建築を設計した。
新国立競技場のコンペでは、最優秀賞となったザハ・ハディド案の建設計画に異を唱え、その後、計画案は白紙となってコンペをやり直した。
平成5年に建築のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を日本人では丹下健三さんに次いで受賞。11年には世界文化賞を受賞した。
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細部の完成度に執念 作品は常に話題に
槇文彦さんは、近代建築の巨匠、ル・コルビュジェらに影響を受け、機能性を重視した近代建築の利点を吸収しながら、現代的な素材を積極的に取り込んだ。環境との調和を考慮した京都国立近代美術館、ステンレス・スチールのかぶとのような屋根が特徴の幕張メッセなど、発表した作品は常に話題になった。
槇さんの代表作の一つ、ヒルサイドテラス(東京都渋谷区)はコンクリートの低層建築に店舗やオフィス、住居が入居し、小さな広場が設けられている。元からあった樹木を生かし、路地や庭のある豊かな空間づくりに成功した。
「建築は文学と違って自分一人でつくりだすものではなく、依頼する施主がいないとできません。よい施主と巡り会え、都市が変貌していく中で、ささやかな街づくり的なものができたことは幸運でした」
世界文化賞を受賞した際のインタビューでは、「細部の完成度に建築家の持っている執念が表れなければならない」と話した。建物全体の優れた意匠は、階段の手すりやドアのノブといった細部のデザインのこだわりから生まれた。
世界で認められた建築界の重鎮として、豊かな見識に裏打ちされた発言は重みがあった。新国立競技場の最優秀案(ザハ案)が、白紙となってしまったのはその影響力ゆえのこと。
「建築のことは四六時中考えています。幸い紙と鉛筆があればどこでもできるし、夜寝ているときでも考えています」
建築への思いは人一倍強かった。知的な風貌とクールな性格。建築家らしい建築家だった。