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撮影を終えた円谷一(つぶらや・はじめ)は、スタッフを連れて飲みに行くのが大好きだったという。「祖師谷(東京都世田谷区)の焼き鳥屋か、円谷プロのスタッフが通ったせいで喫茶店が飲み屋になった店があって、そこに行きました。アイスペール(氷の入れ物)の取っ手を外して、ボトルで1本のウイスキーを入れて、『ウルトラロック』と称してみんなで回し飲みするんですよ」
「ウルトラセブン」メイン監督の満田かずほ(漢字は禾へんに斉)の回想は豪快だが、一は店でスタッフの話の聞き役になることが多かったという。昭和41年放映の「ウルトラQ」の撮影当時、満田は20代後半、一は30代半ばの若さだった。
ウルトラQは怪獣ブームに火を付けた。ただ、「民間人が毎回怪獣に出くわすのは無理があった」(満田)ため、後継番組ではそれを解消しようと科学特捜隊という怪獣退治チームを設定した。「SFじゃなくてMF(モンスター・フィクション)になってきたね」。シリーズの文芸を担当した脚本家、金城哲夫の皮肉を満田は覚えている。
ブームを受けて、たくさんの怪獣たちとともに、ウルトラマンというヒーローが誕生する。
怪獣の愛嬌と哀愁
「僕が一番好きなウルトラマンは初代です。ウルトラマンを楽しむ要素は、初代に詰まっていると思います」
放映中の最新作「ウルトラマンブレーザー」(テレビ東京系、土曜午前9時)の田口清隆メイン監督(43)は、一がメイン監督を務めた「ウルトラマン」の魅力を「王道」と表現する。防衛チームの中の一人が、実はウルトラマン。チームは怪獣退治や事件のため奔走するが、最後の最後にウルトラマンが出てきて解決する。その正体を仲間は知らない。すべて初代が作り出した「王道」だ。ブレーザーもその道を歩んでいる。
「SF短編小説のように基本的に1話完結もいい。それと初代の怪獣は、暴れて街を壊しても、愛嬌があってかわいいじゃないですか。自然の生き物であるという感覚がまだ強く、町に下りてきてしまったクマと一緒で、ウルトラマンも仕方がないから倒す。追い払われる怪獣の背中の哀愁が好きなんです」
初代の物語は、勧善懲悪の構図に収まらない要素をすでに持っていた。次の「ウルトラセブン」では敵を侵略宇宙人に設定したが、「宇宙人にも事情と言い分がある」という展開が物語をさらに深めていく。
「シリーズがこれだけ長く続いたのは、最初のウルトラマンがきちんと作ってあったから」が満田の持論だ。
再びブーム起こし…
一はセブンの後に「怪奇大作戦」(43~44年)でメガホンを取った後、監督から退く。44年にTBSを辞めて円谷プロダクションに入社し、翌年、父、英二の死去とともに2代目社長に就任。46年には「帰ってきたウルトラマン」「ミラーマン」をプロデュースし、両作の主題歌も作詞した。セブンで途絶えた怪獣ブームが再燃する。
一の死は、唐突だった。48年2月9日、「代表が倒れて病院に運ばれた」という電話を受けた満田は、「しばらくゆっくり休んでもらえるな」と思ったという。前の晩に一と飲んだスタッフもいた。しかし、訪れた自宅に一は病院から亡きがらとなって帰ってきた。脳出血だった。享年41。「スタッフ代表で弔辞を読めと周りに言われたが、それはできなかった」
没後50年。「いい作品を残していただいた。Q、マン、セブン、怪奇のどれをとっても、みんな面白い作品だった」と満田はかみしめる。=敬称略
筆者:鵜野光博(産経新聞)
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2023年8月12日産経ニュース【黎明のウルトラマン】を転載しています