世界で猛威を振るう新型コロナウイルスの研究に、スーパーコンピューターを集中的に投入する動きが日米で広がっている。高速計算の能力を生かし、治療薬の迅速な開発につなげるのが狙いだ。
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新型ウイルスによる感染症は、鍵となる体内の特定の物質が、鍵穴に相当するウイルスのタンパク質に結合することで起きる。よく似た「偽の鍵」を使って、本物の鍵の邪魔をして細胞への侵入や増殖を防ぐのが治療薬開発の基本的な戦略だ。スパコンは、この鍵と鍵穴の組み合わせについて膨大な計算に基づくシミュレーションを行い、薬の効果を予測する。ウイルスや細胞を使った実験と比べ、多くの組み合わせを素早く安全に試せるのが利点だ。
スパコンによる計算結果はあくまで予測であり、実験で効果を確認する作業が欠かせない。また、予測は計算の範囲内にとどまるため、実験で偶然生まれる「想定外の発見」を得にくい欠点もあるが、実験室での作業を大幅に効率化できるため強力な武器になる。
新型ウイルスの治療薬は世界初となった米国の「レムデシビル」が日本でも7日に承認され、国産の「アビガン」も早ければ月内に承認される見通しだ。
だが、いずれも暫定的な評価に基づく承認で、有効性はまだ確定しておらず、副作用などで全ての患者には使えない課題もある。使っているうちに効かなくなる耐性ウイルスが生じる恐れもあり、新たな治療薬の開発は今後も不可欠だ。
「富岳」前倒し
理化学研究所は次世代スパコン「富岳(ふがく)」(神戸市)の運用開始を当初の来年度から前倒しし、4月から新型コロナの研究で試験的な利用を始めた。昨年運用を終えた「京(けい)」の後継機で、現在の能力は完成時の1~2割程度だが、それでも京の7倍に達する。
京都大の奥野恭史教授は別の病気で使われている薬など二千数百種類の物質について、新型ウイルスのタンパク質の働きを阻害できるか探っている。人の細胞への侵入や増殖に関わる5種類ほどのタンパク質を1~2カ月で調べる計画だ。奥野氏は「計算結果は世界中に開示する。理研で実験の評価も行う。治療に直結するので不眠不休で取り組んでいる」と話す。
他のスパコンでも取り組みが始まっている。国立の大学や研究所など12機関は、それぞれが運用するスパコンを新型ウイルス研究に無償で提供する。
産業技術総合研究所の「AI橋渡しクラウド(ABCI)」や、東京工業大の「TSUBAME3・0」など日本有数の機種が含まれ、合計で1秒間に11京4千兆回(京は1兆の1万倍)の計算ができる。
東京大の上田宏生講師はABCIを使って、ウイルスの変異に関連する遺伝物質の性質を詳細に調べ、タンパク質と治療薬の相互作用を解明する。「新型ウイルスは変異のスピードが速く、感染力や毒性、薬剤耐性などが変わる可能性がある。半年間で成果を出したい」と意気込む。
理研はタンパク質のシミュレーションを得意とする創薬専用スパコンも投入。ウイルスの増殖に関わる酵素の構造や動きを分子レベルで解析した。
全米でも結束
一方、米国では企業や大学、国立研究所など37の機関が新型ウイルス研究にスパコンを活用するための共同体を3月に結成した。
世界最速のスパコン「サミット」を運用する米エネルギー省と開発元のIBMが音頭を取り、マイクロソフトやグーグル、マサチューセッツ工科大、米航空宇宙局(NASA)などスパコン業界の牽引(けんいん)役が名を連ね、全米を挙げて人類の危機に挑む。
合計の演算能力は1秒間に約43京回に及ぶ。新型ウイルスの構造や変異の様子を分析して、ウイルスの働きを阻害する薬を探す研究などが進んでいる。
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市民の力も結集 余剰能力で「京」240台分
世界中のコンピューターを集めて計算を処理する「分散コンピューティング」の技術を使って、新型コロナウイルスのタンパク質の構造や動きを解析しようというプロジェクトも盛り上がりを見せている。家庭や企業にあるネット接続されたコンピューターの余剰能力を利用し、合わせて巨大なスパコンのように使う仕組みで、専用ソフトをコンピューターに入れれば誰でも参加できる。
「Folding@home(フォールディングアットホーム)」という名称で米スタンフォード大の研究者らが2000年に立ち上げた。これまでにもがんやエボラ出血熱、アルツハイマー病などの研究で成果を挙げている。
今年2月末に新型コロナ感染症に対する取り組みを発表すると、参加者が急増。わずか1カ月半で1秒間に240京回の計算ができる莫大(ばくだい)な演算能力が集まった。半年ごとに世界のスパコンのランキングが500位まで発表されるが、この500台の合計を凌駕(りょうが)する能力だという。日本のスパコン京に換算すると実に240台分だ。
この取り組みには欧州合同原子核研究所(CERN)やKDDIなども参画している。
筆者:松田麻希、小野晋史(産経新聞)