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暑い―この一言に尽きる。老生の20代、すなわち60年も昔、天気予報で、「明日は30度」と告げられると話題となったもの。今となっては、もう昔話。
昔話と言えば、『老子』9章に、こうある。「功成り名を遂げて、身を退くは、天の道なり」と。にもかかわらず、プーチン老(69歳)は、遂に隣国のウクライナに攻め込んだ。しかも苦戦。となると、老残いや老惨と評するほかない。老子の名言は死語と化したのか。
ロシア軍の行動を見ていると狩猟民族的である。すなわち、目の前の取れるものは可能な限り取る。後は野となれ山となれ、ロシア軍の暴行や略奪は日本の敗戦時、満州(現中国東北部)において行っていたことと同じで今もそれを行っている。
こういう狩猟民族的行動を、われわれ農耕民族が叱っても、彼らは理解できない。
となれば、日本はロシアに対して、用心して準備すべきものは準備し、防衛を堅くすることが第一である。ロシアに対しては、「まさか」などという呑気な台詞は通用しない。
しかし、現実は厳しい。或る調査では、外国からの日本侵略に対して、戦うという日本の若者は2割、様子を見るが4割、あとの4割は外国へ行き、状況が落ち着いたら帰国とのこと。
この集計、日本人の誰がわらうことができようか。現実、そして心すべきことを教えてくれている。
平和―美しいことばである。しかし、残念なことに、日本の防衛力の現状を見た場合、それは相当部分、米軍の力に依る<平和>にすぎない。独立国家であるならば、平和は自主防衛力で得るべきものであろう。
『論語』衛霊(えいのれい)公に「遠き〔先(さき)〕の慮(おもんぱかり)(配慮)なくば、必ず近き憂いあり」とある。準備は、なにも起こっていない時にこそしておくべきである。わけても軍事というのは、その準備に時間がかかるので、相当の時間を充てなくてはならない。
その準備の中で最も時間がかかるのが、将兵という人間の準備である。将官は、長時間の訓練が必要なので、日本は防衛大学校のさらなる充実と定員増を図らなくてはならない。
問題は兵である。ただ数を集めればよいというわけではない。相当の訓練が必要なのである。もしそういった配慮がなくて、ただやたらと人数を集めて部隊を編成しても、実際は役に立たず、戦闘(防衛)能力が低く、無いに等しい。
『論語』子路(しろ)に、こういう話が出ている。「教えざる民を以て戦うは、是れ之(民)を棄つと謂う」と。
この「教えざる」の「教え」について老生は軍事訓練と解釈している。すなわち軍事訓練をしていない兵を使って戦闘するのは、軍事(防衛)力がなく、兵を棄てるようなものだの意。
となると、祖国防衛の基礎訓練は、中・高校あたりから始めるべきではないか。
戦いは死に直結する。『論語』述而(じゅつじ)に曰く「子(孔子)の慎む所は、斎(祭祀)・戦・疾(病)と」。
筆者:加地伸行(大阪大名誉教授)
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8月21日付産経新聞【古典個展】を転載しています