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今季の大谷翔平を振り返るとき、満面の笑みしか浮かばない。
ついに念願のワールドシリーズを制し、ドジャースの仲間とともにシャンパン・シャワーを浴びて感情を爆発させた。シーズンを通して、大谷の笑顔とともに始まる日本の朝は幸福だった。
ただし大谷にとっては、波瀾(はらん)万丈の1年でもあった。
昨秋、右ひじを手術し、今季はリハビリに専念して投手との二刀流は封印した。
万年下位のエンゼルスから、「ひりひりする9月」を求めて強豪のドジャースに、10年1000億円の世界のスポーツ史上最高額の契約で移籍した。
結婚もした。そのプレッシャーは、想像し難いほど大きかったはずだ。
開幕と同時に、盟友でもあった専属通訳がスポーツ賭博で摘発され、解雇された。大谷の関与を疑う声まであり、とても野球に専念できる環境だったとは言い難い。
それでも大谷は球団の勝利のために打ちまくり、走りまくった。結果、長い大リーグ史上でも前人未到の「50―50(50本塁打、50盗塁)」を、地区優勝を争う中で達成した。
しかも「40―40」はサヨナラ満塁弾で、「50―50」は3本塁打10打点2盗塁の大活躍で一気に到達した。記録だけではなく記憶に残る男として、日本のみならず、今や全米のヒーローとなった。愛犬の「デコピン」まで人気者となっている。
ワールドシリーズでは、第2戦の二盗失敗時に左肩を亜脱臼して3戦以降の出場が危ぶまれたが、選手全員が入るグループメールに大谷から届いた「アイ キャン プレー」の短文がチームを鼓舞し、団結させた。
大谷がすごいのは、こうした壮絶なシーンを、全て笑顔で乗り切ったことだ。打席で投手と対峙(たいじ)するときでさえ涼やかな笑みを浮かべ、悲壮感をみせることはほとんどない。
日本全国の小学校に3個のグラブとともに大谷から届いた手紙には「野球しようぜ」とあった。そのグラブで楽しそうにキャッチボールをする子供たちの姿もみた。
大谷の存在はすでに日本人の誇りであり、子供たちの夢そのものである。来季はどんな姿をみせてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。
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2024年11月1日付産経新聞【主張】を転載しています