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これほど見事で素敵(すてき)で劇的な世代交代劇があったろうか。世界のレジェンド、国枝慎吾が引退した年に、日本の17歳、小田凱人(ときと)がテニスのウィンブルドン選手権車いすの部男子シングルスで初優勝を飾った。
小田にとっては全仏オープンに続く四大大会2連勝であり、ウィンブルドンでは昨年の国枝に続く日本勢の連覇だ。四大大会のシングルス優勝28度を誇った国枝が、生涯グランドスラム達成に向けて最後に残していたタイトルがウィンブルドンだった。車いすの操作が難しい天然芝のコートを国枝がついに克服した翌年に、10代の後継者が快挙を引き継いだことになる。
「俺は最強だ」と自らを鼓舞し続け、ついに悲願の偉業を達成した国枝は今年1月に引退し、国民栄誉賞も受賞した。小田が継承するのは「最強」の称号だけではない。それは「希望」だった。
小田は小学3年の時に骨肉腫を発症し、左足の自由を失った。トッププロを目指していたサッカー少年の失意は想像に余りあるが、2012年、ロンドン・パラリンピックで金メダルを取る国枝の雄姿が、新たな希望となった。
以来、国枝の背を追い続け、14歳でジュニアの世界ランク1位となり、15歳でプロとなった。そして今、自らが障害のある子供たちの刺激や希望となるために、コートで戦い続けている。
昨年10月、楽天ジャパン・オープンの決勝で2人は戦った。フルセットの大熱戦を制して優勝した国枝は「こういう舞台を長年待ち望んでいて、それがかなった日」と語り、涙を流した小田は「悔しいわけではなく、うれしくて勝手に涙が出てきた」と話した。
あれが2人の、壮大な世代交代のセレモニーだったのだろう。国枝は今回、ウィンブルドンで小田に「守備をしちゃいけない」と助言した。先輩の金言を胸に、小田は攻め続けて勝ち切った。
小田が国枝の生涯グランドスラムに追いつくには、全米、全豪のタイトルが残っている。国枝はパラリンピックのシングルスも3度制している。壁は高いが、小田はまだ17歳だ。
凱人の名は両親がパリの「凱旋(がいせん)門」からとったのだという。凱には勝利の歌の意味がある。来年はパリでパラリンピックが待っている。出来すぎたドラマの結末を、こちらも楽しみにしたい。
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2023年7月20日付産経新聞【主張】を転載しています