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関東大震災(大正12年)から100年になる今年は鳥取地震(昭和18年)から80年、福井地震(23年)から75年の節目でもある。
「終戦の日」から「防災の日」までの間に終戦前後の混乱期に日本を襲った震災を思い起こしたい。
終戦を挟んだ5年間に、死者数が千人を超えるマグニチュード(M)7~8級の地震が立て続けに発生した。
18年鳥取(M7・2、死者1083人)▼19年昭和東南海(M7・9、死者・不明1223人)▼20年三河(M6・8、死者2306人)▼21年昭和南海(M8・0、死者1330人)▼23年福井(M7・1、死者3769人)―の5つの地震である。
これらの地震は、戦時中の情報統制や終戦直後の混乱に埋もれ、震災としての記憶と教訓が十分に伝えられていない。国民の多くが、大震災といえば関東、阪神(平成7年)、東日本(23年)を思い浮かべるだろうが、昭和の時代にも大規模震災はあった。しかも、現在の日本の地震防災にとって極めて重要な教訓をはらんでいる。
その教訓を埋もれさせないためにも、終戦前後の一連の地震を「昭和の大震災」と呼ぶことを提案したい。
5つの地震のうち、昭和東南海、昭和南海地震は、南海トラフを震源とする海溝型地震で、残りの3地震は直下型地震である。海溝型地震の前後に、規模が大きい直下型地震が頻発する傾向があることは歴史的に知られる。南海トラフは次の海溝型地震(M8~9)発生の切迫度が高まり、日本列島は終戦前後の数年間と同じような地震活動のピークに向かっていると、認識しなければならない。
大切なのは、単独の巨大地震ではなく、一連の地震活動から教訓を掘り起こし、防災に生かすことである。
たとえば、大阪府市における南海トラフ地震への備えは、津波対策に重点が置かれる。だが、大阪平野の中心には上町断層帯があり、日本の活断層の中では地震発生確率が高いグループに属する。
「昭和の大震災」を教訓とするなら、M8級の南海トラフ地震の前か後に、直下型地震に襲われる場合も想定すべきだ。大阪以外の多くの都市、地域も同様である。
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2023年8月19日付産経新聞【主張】を転載しています