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今夏の東京五輪・パラリンピック開催に向けて政府や東京都、大会組織委員会は努力を続けてほしい。それは新型コロナウイルスの感染を抑え、社会・経済を前に進める上でも大きな一歩になる。
残念ながら、新型コロナは下火になる気配が見えず、東京都などに発令中の緊急事態宣言は6月まで延長される見通しだ。五輪の中止や再延期を求める声が強まりつつある。だが、開催の可否を論じる前に、政府や都、大会組織委は「なぜ五輪を東京で開催するのか」という根本的な問いに真摯(しんし)に答えてきたか。
選手も思いを発信せよ
政府や組織委が掲げる「安全・安心な大会運営」は、前提であって答えではない。開催意義をあいまいにしたまま「安全・安心」を繰り返しても、国民の理解は広がらない。菅義偉首相にはそこを明確に語ってもらいたい。
アスリートにも同じことを求めたい。それぞれが抱く希望や不安の真情を、自身の言葉で聞かせてほしい。先が見えない中で鍛錬を続ける彼ら彼女らの不安は国民の不安にも通じる。だからこそ日の丸を背負う選手たちには、五輪を通して社会に何を残せるのか、語る責任がある。
もの言えば唇寒く、時に理不尽な批判を招く風潮は恐ろしい。それでも社会に働きかける努力を続けてほしい。世論の反発を恐れ、口をつぐんだまま開催の可否を受け入れることはアスリートとしての不戦敗に通じる。
陸上の五輪銀メダリストで現役選手でもある末続慎吾は、産経新聞のコラムにこうつづった。
「彼ら彼女らの心の叫びが響くことで、アスリートの本当の思いと社会とがつながってくれることを祈っている。もしそれができたなら日本のスポーツは決して死ぬことはない」。それができなければ、日本のスポーツは死ぬ、とも読める。それほどの覚悟が求められていると理解すべきだ。
見る側、支える側のわれわれもまた、スポーツの価値について改めて考える必要がある。
2002年のサッカー・ワールドカップ(W杯)日韓大会や19年のラグビーW杯日本大会など、最高峰の舞台で勝敗を競う選手の姿は、大きな感動と興奮の記憶を残した。1964年の東京五輪も同様である。目標に向かって思いを重ねる喜びを教えてくれたのは、まぎれもなくスポーツの力だ。
五輪そのものや選手に批判の矛先が向けられる現状では、彼らが正当な評価を受けているとは言い難い。五輪のホスト国として恥ずかしく、情けないことだ。
海外から多くの選手や関係者が東京に集うことで、国民がさらなる感染拡大を懸念することは十分に理解できる。政府や組織委が不安の払拭に努めるのは当然だ。
あらゆる知見の結集を
五輪開催に向けた感染予防などの努力は、日本の社会を前に進める努力と同じ方向にあることを強く語ってほしい。
国際オリンピック委員会(IOC)などは、国内外の選手や大会関係者らに厳格な感染予防を義務付けている。選手村に入る参加者の8割超がワクチン接種を受けるとの見通しも示している。
米製薬大手のファイザー社からは、日本側に別枠で選手ら2万人分のワクチンが提供される。丸川珠代五輪相は、訪日する海外選手らと接触機会の多いボランティアの一部や審判、通訳らにも優先接種する考えを示した。
随分と腰の引けた対応だ。モデルナ製ワクチンの承認ですでに国民全体に行き渡る量が確保できた以上、2万人といわず、大会に参加を予定するボランティア8万人全員に接種すればいい。
もし感染が急拡大して五輪が今後中止に追い込まれても、それは無駄にはならない。喫緊の課題は一人でも多く早く接種を済ませることにあるのだから。
国内外のスポーツ界は昨年来、有観客の大規模イベント開催を可能とする知見を集めてきた。これまで、深刻な感染拡大は起こっていない。今夏の東京五輪も感染リスクを極力下げた上で開催することはできるはずだ。
組織委によれば、海外から来日する五輪関係者は、当初想定の約18万人から約7万8千人に削減される見通しだ。大会の安全を確保するため、さらに削れる分があるのではないか。もっとぎりぎりまで詰めてもらいたい。
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2021年5月28日付産経新聞【主張】を転載しています