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沖縄戦の終結から79年となる「慰霊の日」を迎えた。最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では6月23日、「沖縄全戦没者追悼式」が営まれた。
熾烈(しれつ)な地上戦となった沖縄戦では、日本の軍民約18万8千人が亡くなった。米軍は約1万2千人が命を落とした。
その犠牲の上に現在の平和があることを思い、全ての戦没者に哀悼の誠をささげたい。同時にこの平和を、守り抜くことを誓いたい。
沖縄戦は、沖縄の慶良間諸島に米軍が上陸した昭和20年3月26日から、摩文仁で守備隊の牛島満第32軍司令官が自決し、組織的戦闘が終結した6月23日まで3カ月間続いた。
沖縄を守ろうと九州などからも陸海軍の特攻機2571機や空挺(くうてい)隊が出撃した。県内の中等学校生らも鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊などに動員され、多くが戦没した。
秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦(よみがえ)らなむ
牛島司令官の辞世の句だ。沖縄は戦後27年間にわたり米国の統治下に置かれ、春が訪れたのは本土復帰を果たした昭和47年である。その苦難の歴史にも思いを馳(は)せたい。
ところが最近、那覇駐屯の陸上自衛隊第15旅団のホームページに牛島司令官の辞世の句が掲載されているのは問題であるとし、地元メディアや左派勢力が陸自へのバッシングを繰り広げている。
地元メディアは「日本軍を美化」「皇国史観だ」などと批判しているが、辞世の句は、沖縄の再興を祈って詠んだものだ。平成30年からホームページに掲載されているが、本土から最近沖縄に移住した記者が地元紙で取り上げるまで、とくに問題になっていなかった。
沖縄では毎年、慰霊の日が近づくと一部の左派勢力が日本軍将兵を貶(おとし)めるようなキャンペーンを展開し、それを米軍基地などへの反対運動に結びつける傾向がみられる。
しかし多くの日本軍将兵が沖縄の地で国に殉じたのは事実だ。県民も軍に協力し、懸命に戦った。
戦後のイデオロギーで史実を歪(ゆが)めるのは間違っている。それは戦没者を慰霊することにも、沖縄の平和を守ることにもつながらない。
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2024年6月23日付産経新聞【主張】を一部情報を更新して転載しています