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「ブルートレイン」の愛称で親しまれた国鉄(JR)の寝台列車の引退車両を利用した宿泊施設が、香川県観音寺市内にオープンして1年が経った。3両しか製造されなかった全室2人用個室のデュエット車両という貴重な車両に泊まれると話題になったが、利用者数の伸びは今一つ。新型コロナ禍の影響なども重なったが、運営者の岸井正樹さん(63)は、利用拡大に向けて対策を模索中だ。「見通しの甘いところがあったが、貴重な車両に泊まれる機会を残せるよう、踏ん張りたい」と力を込める。
少年時代のあこがれが原動力
「四国遍路の駅オハネフの宿 なは 瀬戸」は令和5年4月、四国八十八カ所霊場第66番札所、雲辺寺(徳島県三好市)につながる雲辺寺ロープウェイ山麓駅(観音寺市)の第2駐車場にオープンした。宿泊できるのは平成20年まで京都-熊本駅間で運行されていた「なは」のデュエット車両と、側面に横1本の銀帯が入った「瀬戸」(平成10年に廃止)のB寝台車だ。
岸井さんは善通寺市でうどん店を営んでいたが、ブルートレインのお遍路宿を実現するため、うどん店を同じ場所に移転させた。
小学5年頃から鉄道に興味を持った岸井さん。中学時代には列車の写真撮影に夢中になり、父親のカメラを借り母親に付いてきてもらい、宇高連絡船で夜の岡山駅まで行き、寝台列車の写真を撮りまくった。「ヘッドマークのかっこよさが印象に残っている」という。
会社員時代の東京出張には寝台列車を利用。その後、洋ラン栽培農家を経て独学でうどん店主に転身。8年前に店舗移転話が持ち上がったとき「この際、幼い頃の憧れだったブルートレインの車両で遍路宿をやりたい」と思い立った。
アクセスの不便さPR不足も
全国で譲渡可能な車両の情報を探し回り、鹿児島県阿久根市で宿泊施設として使われ、その後営業休止となっていた2両にたどり着いた。準備などに5年ほどかかり、令和3年4月に鹿児島から観音寺市まで陸送、海運を利用して4日がかりの移送を敢行した。
移送費が当初の見積もりよりも膨れ上がり、2度のクラウドファンディングを実施するなどして、計1400万円弱を調達した。岸井さんは「設置場所はお遍路宿なので、車両が置ける広さがあり、お遍路ルートに近い場所と考えて決めた」と話す。
有志により塗装の塗り直しや電気系統の修理などを進め、5年4月にオープン。「話題性があるので全国からたくさんの方が来てくれるだろう。以前のうどん店の売り上げならそれで運営費が補える」と期待したが、宿もうどん店も利用者数は採算ラインを大きく下回ったという。
所在地は最寄りのJR豊浜駅から直線距離で約6・5キロ、コミュニティーバスを含めて公共交通手段がなくアクセスがきわめて不便。車両の移送やお披露目を行う計画は新型コロナ禍の影響で実施できず、PR不足は否めない。初期設備投資も原材料費高騰のあおりを受けて大幅に膨らんだ。
宿泊は全国5カ所
あの手この手で打開策を模索中だ。
まずは認知度を高めようと、地元の親子の招待や体験イベントの開催を検討。自治体やバス事業者に対し、ロープウェイ山麓駅への小型・観光周遊バス運行を働きかけ、設置場所の移転や活用できそうな助成金なども模索している。周囲のアドバイスを受け、会社形態への移行や、サポーター・一口株主といったような方式、スポンサーの募集、繁忙期価格の設定・見学料金見直しなども探っている。
一方で、「存続の見込みが明確に立たない中で、イベント企画などをしても良いのか…」と頭を悩ませる。しかし、「クラウドファンディングで支援してくださった方々の思いも背負っており、この貴重なブルートレインの宿を何とか存続させたい」との思いは強い。
ブルートレインに泊まれる所は他に北海道1カ所、東北2カ所、九州1カ所のみ。大阪市内から宿泊に来た自営業、竹岡太一さんは「朝起きて車窓から眺める風景がすてき。何とか残そうと奮闘する岸井さんの思いを意気に感じ、応援している」と話す。東京から来た夫婦は2度目の利用といい「昨年夏にネットで偶然見つけて泊まった。子供の頃に憧れていたブルートレインに乗る夢がかなった」と話していた。
筆者:和田基宏(産経新聞)
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個室は1室1万2千円、B寝台は1泊5000円。車両の隣にシャワー・トイレ棟があり、食事の用意はない。車両見学は1回500円で車内放送体験もできる。