Seiji Ozawa 20240210 001

People place flowers and bid farewell at a stand decorated with a smiling photo of Seiji Ozawa on February 10 in Matsumoto City, Nagano Prefecture. (©Kyodo)

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クラシック音楽界の世界的指揮者で、第23回高松宮殿下記念世界文化賞受賞者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが2月6日、心不全のため東京都内で死去した。88歳。葬儀は近親者で執り行った。後日、お別れの会を開くことを検討している。

 

世界文化賞の音楽部門を受賞し授賞式で常陸宮殿下から顕彰メダルを授与されガッツポーズをする小澤征爾さん=2011年10月19日、東京都港区(産経新聞)

 

昭和10年、旧満州国奉天(現・中国瀋陽市)生まれ。幼いころからピアノを学び、桐朋学園で指揮者の斎藤秀雄に学んだ。34年、23歳で渡欧。若手指揮者の登竜門、仏ブザンソン国際指揮者コンクールに優勝し、カラヤンやバーンスタインら巨匠の薫陶を受けた。

 

その後、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者、トロント交響楽団音楽監督などを歴任。1973(昭和48)年に米国の5大オーケストラの一つ、ボストン交響楽団の音楽監督に就任し、2002(平成14)年まで29年間務め、その名を世界に広めた。

 

同年、オペラの最高峰であるウィーン国立歌劇場の音楽監督に東洋人として初めて就任、10(同22)年まで務めた。

 

昭和59年に恩師、斎藤秀雄を偲んで「サイトウ・キネン・オーケストラ」を組織。平成4年から長野県松本市で音楽祭を続けた。25年の音楽祭で指揮したオペラの録音は、2016(平成28)年に米グラミー賞を受賞した。

 

小澤征爾氏の指揮により元離宮二条城で行われた小澤征爾音楽塾=2015年9月12日、京都市中京区(産経新聞)

 

また、ボストン交響楽団時代から若手音楽家の指導に情熱を注ぎ、平成12年に「小澤征爾音楽塾」、2005(17)年にはスイスに国際アカデミーを設立。世界で活躍する音楽家を育てた。70歳を超えて、指揮活動を休むことも増えたが、教育活動には最後まで熱心に取り組んだ。

 

平成20年に文化勲章受章。23年に第23回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞した。著書に作家の村上春樹さんとの共著「小澤征爾さんと、音楽について話をする」など多数。長女は作家の征良(せいら)さん、長男は俳優の征悦(ゆきよし)さん。

 

ボストン交響楽団を指揮する小澤征爾氏=1999年2月16日(ロイター)

海外から追悼

 

指揮者の小澤征爾さんが88歳で亡くなったことを受け、海外メディアは9日、「世界で最も有名な指揮者の1人が死去」(ロイター通信)などと速報で伝えた。

 

ロイターは小澤さんについて「世界に扉を開き、カラヤンやバーンスタインなどの偉人と仕事をした」とした上で、「彼のふさふさした髪と笑顔は特に米国の聴衆を魅了した」と振り返った。

 

AP通信は、小澤さんが1973年から2002年まで29年にわたり米ボストン交響楽団の音楽監督を務めたことに言及し、ボストン交響楽団の100年以上の歴史で「他の誰よりも長く指揮者を務めた」と紹介。「(チェロ奏者の)ヨーヨー・マさんら著名な演奏者を引きつけた」とした。

 

オーストリア通信も、小澤さんが2002年から10年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めたことととも速報。小澤さんが02年に日本人で初めてニューイヤーコンサートを指揮したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は声明で、名誉団員である小澤さんとの活動を「感謝と愛を持って回顧している」と哀悼の意を表した。

 

がん療養から活動を再開し、コンサートのリハーサルに臨んだときの小澤征爾さん=2010年8月1日、長野県(産経新聞)

 

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