社会のルールを守る日本人は自信を持っていい
オーストリア政府から最高位の勲章を贈られるなど世界的に著名な写真家、アラーキーこと荒木経惟さん。緊急事態宣言が全面解除された5月25日、80歳の傘寿を迎えた。毎年この日は、誕生パーティーが個展会場で開かれていたが、今年は中止。自粛のなかで出版された写真集「荒木経惟、写真に生きる。」(青幻舎)には、新型コロナウイルス禍の中に撮り下ろした新作を掲載。老いや病気との共生、荒木さん独特の「エロス(生・性)とタナトス(死)」の死生観を込めたメッセージには、「ウィズ・コロナ(コロナとともに)」を生きる日本人への励ましとヒントがあふれている。
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コロナでいろんな人間性や国柄が、バレちゃったよね。日本では、ロックダウンとか強制的な措置が取られなくても、重症者や死者数は抑えられている。それは、日本人の多くは人間ができているからだよ。昔から、人さまに迷惑をかけないように社会のルールを守る。それを当然のこととして受け継いできた。日本人は自信を持っていいよ。
今は、まじめに自粛してる若い人がかわいそうだよね。人間の一番大切なこと。愛とか恋、触れる、生身の関係性…。いちゃついちゃダメなんだろ? オレ最初「濃厚接触」と聞いてこのことだと思ったんだよ。それが、集まっての飲食すらダメだって。
切り替えて、いっそ孤独を楽しんでみたら。「オンライン〇〇、なかなかいいですよ」とかいわれるけど、最先端、便利なことはつまらないことだよ。画面ごしに飲み会なんて、オレはやだね。言葉が響かない、震えないじゃない。まぁ、オレはスマホもパソコンも持ってないけどね。
傘寿の記念に、「近所が浄土」展やろうと準備してたのに、コロナで冥途(霊魂の迷い道)になっちゃった。浄土とは自分の部屋であり隣近所なんだって気付いて、外出自粛の前から撮ってんだけど、コロナが追いかけてきたね。ステイホームは悟りの機会。今は、井の中の蛙(かわず)でいいって。見上げれば空が見えんじゃない。今、一番シャッター押してんのは近所と花と空だね。空が一番多いかな。その日その日、変容していくのが空であり、人生だから。
何年も前から終末観があって、自分の部屋に花と人形で天国と地獄を作ったのを「PARADISE」と称して、撮り続けてきた。自分も終わりに近づいてるし、オレには写真が人生そのものだから、初期から新作までを傘寿記念の写真集「荒木経惟、写真に生きる。」にまとめてみた。できてみると、あと2、3年は生きたい、撮りたいって意欲が湧いてきたんだ。雑誌、週刊大衆(双葉社)の連載「人妻エロス」が今月末1000回を迎える。ダ・ヴィンチ(KADOKAWA)巻頭の男性ポートレート「アラーキーの裸ノ顔」も24年目。いろんな人を撮ってきたけど、まだまだ出会い足りないって。
今日だって歩くのが大変なくらい、いろんなところが調子悪い。前立腺がん、放射線治療で膀胱(ぼうこう)タンポナーデになって、血栓で右目失明して、心臓調べたら心房細動。ゴチャゴチャなとこにトドメのコロナが来たからね。感染したらアウトだって脅されて、スケジュール調整は病院とクリニック優先。忙しいんだよ~。
写真うつすのはいいけど、コロナうつしちゃダメ…。おっ、この言葉は使えるね。
毎年8月になると鎮魂の気持ちになる。アートスペースAM(東京・原宿)の個展も、終戦の日と同じ8月15日を最終日にした。玉音放送は記憶にないけど、3月10日の東京大空襲は鮮明に覚えてる。空は赤いんだよ、オレにとっちゃあ。家は東京の下町、台東区の三ノ輪。そこいらじゅう焼夷(しょうい)弾の火の手が上がるなか、うちの防空壕(ごう)に男の赤ちゃんを抱いたお母さんが逃げ込んできた。狭い壕の中でその子と遊んで一夜を明かした。まだ就学前のチビだったから学童疎開にも行けず…、よく生きてたね。
そんなのと比べたら、今は大騒ぎしすぎにも感じる。だけどコロナは、近寄られても熱くない。敵が見えない。それが今風で不気味なんだよ。
8月は鎮魂の気持ち
戦争と違う見えない敵
それが今風で不気味
聞き手:重松明子(産経新聞)
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【プロフィル】荒木経惟(あらき・のぶよし)
昭和15年、東京都生まれ。千葉大工学部卒。愛妻との新婚旅行と闘病・死別を記録した「センチメンタルな旅 冬の旅」をはじめ、写真集は500冊を超える。2008年、オーストリア政府から叙勲。産経新聞では平成14~21年「アラーキーがゆく」を連載した。書でも注目され、写真と融合させた独自の芸術世界を確立。写真人生を集大成した最新刊「荒木経惟、写真に生きる。」には、樹木希林さんやビートたけしさん、草間彌生(くさま・やよい)さんなど、ゆかりの人たちとの交流が写真とともに語られている。