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People walk towards the Borisovskoye cemetery during the funeral of Russian opposition politician Alexei Navalny in Moscow, Russia, March 1, 2024. (©REUTERS/Stringer)

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ロシアの反体制政治活動家として名をはせていたナワリヌイ氏はかつてロシア国内で毒を盛られた後でドイツに救急搬送されて、一命をとりとめました。

 

ドイツで治療を受け、健康を取り戻したナワリヌイ氏は、ドイツ滞在中も、プーチン露大統領の巨大な別荘の様子をインターネットで公開するなど、反プーチン活動を続けていました。

 

そのナワリヌイ氏が2021年、公然とロシアに戻る飛行機に乗って、ロシアについたとたんに逮捕されたというニュースが流れた時、私は同氏の真意を測りかね、不思議に思いました。

 

この時私は、「ナワリヌイ氏はロシア国外にいたからこそ、自由にプーチン大統領の批判も出来ていたのであって、ロシアに戻れば、当然ながら逮捕され、投獄されて、時期をみて(ロシア当局の公式発表では)病死させられる可能性が極めて高いのに、なぜ彼は、ロシアに公然と帰ろうとしたのか」と不思議に思ったのです。

 

案の定、ナワリヌイ氏の獄中での病死が2月16日、ロシア当局から発表されました。47歳でした。

 

ナワリヌイ氏の葬儀が行われた3月1日、墓地の近くで当局に拘束される男性=モスクワ(ロイター)

 

すると、私と同じように「ナワリヌイ氏は、ロシア当局によって無理やり病死させられた」と考えた、ロシア人および欧米諸国からプーチン大統領への怒りが自然発生して、ナワリヌイ氏の追悼がロシアの国内外で広がりました。

 

おりしも、ちょうどその頃、ウクライナとの戦いを拒否してウクライナに亡命した元ロシア軍人が、本人の希望でスペインで生活していたところ、弾丸を16発あびせられて死亡した(暗殺された)というニュースも流れました。

 

そういえば、ロシア当局は、他国に亡命した反プーチンの著名人たちを次々と暗殺しています。

 

そう思った時、私は、ナワリヌイ氏から「ロシアに戻る決心をした理由が告げられた」気がしました。

 

つまり、ナワリヌイ氏はドイツ滞在中に「自分には、暗殺指令が出ている。とするならば、自分がドイツにいてもアメリカに亡命しても、いずれはロシアの秘密警察によって暗殺されるはずだ」と、考えたのではないでしょうか。

 

そして、ナワリヌイ氏は「どうせ暗殺されるならば、他国に逃げている間にひそかに暗殺されるよりも、ロシアに戻って堂々と暗殺されたほうが、ロシア人の心により強く『反プーチン』を訴えることが出来る」と、考えたのではないでしょうか。

 

だから、彼はロシアに戻った。

 

そんな、思いが私の胸に浮かびました。

 

そして、ナワリヌイ氏は、他国から発する百万回の反プーチン演説などよりも、自分自身がロシア国内で逮捕され、暗殺されるほうが、ずっと同胞のロシア人に『プーチン政権を受け入れている危険を訴えることが出来る』と判断したから、ロシアに戻ったのではないでしょうか。

 

現に、ナワリヌイ氏は、「ロシアに戻れば、いずれは無理やりに病死させられるはずだ」と思っていたのでしょう。ナワリヌイ氏は、遺言を残していました。

 

それは、たった一言、「決して、あきらめるな!」だったそうです。

 

こうして、ナワリヌイ氏は民主化を望むロシア人にとって聖人となりました。

 

イエス・キリストが十字架にかけられたことにより、以後2千年もの間キリスト教徒の心の中に「神」として生き続けているように、たとえこの世での生を終えてしまっても、ナワリヌイ氏は民主化を望むロシア人の心の中で「民主化の聖人」として生き続けてゆくことでしょう。

 

ですから、そう遠くない将来(10年程度はかかるかもしれませんが)、現在のロシアの独裁者プーチン大統領が死去した後、20世紀のソ連の独裁者スターリンが死去した後にスターリン批判が巻き起こった時のように、プーチン批判が起こるでしょう。そのとき、ナワリヌイ氏の死は、民主化を求めるロシアの一般の人々の行動を左右する原動力の一つになりうるかもしれないと、私は思います。

 

筆者:長谷川七重(作家)

 

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