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国会やマスコミの論調を見ていると、左派・リベラル勢力を中心に夏の東京五輪・パラリンピック開催中止論が幅を利かせている。1日の参院厚生労働委員会でも立憲民主党の打越さく良氏が、菅義偉(すが・よしひで)首相にこう迫っていた。
「もはやオリンピックの中止が、国民の当たり前だ。中止を決断すべきではないか」
感染拡大、試算では
立憲民主党では、5月28日の衆院厚労委で山井和則氏も「歴史的な大惨事になるリスクをはらんでいる」と強調したほか、枝野幸男代表は5月9日のインターネット番組で言い放った。
「世界の変異株の展示会みたいになり…」
首相になる準備ができたと公言する野党第一党のトップが、外国人はみんな変異株を持っていると言わんばかりの差別的ともいえる発言をするのはどうか。国民の不安を、いくら何でもあおり過ぎではないか。
加藤勝信官房長官も5月29日の日本テレビ番組で言及していたが、東大大学院経済学研究科の仲田泰祐准教授と藤井大輔特任講師の試算のように、選手や関係者の入国による東京都内の感染拡大はごく限定的だとの見方もある。
試算では、入国者数が10万5千人でワクチン接種率が50%だった場合、都内における1週間平均の新規感染者数は約15人、重症患者数で約1人増える程度にとどまるという。
ワクチン接種も進み始めた中での野党や一部マスコミの五輪中止の大合唱はなぜか。開催中止に追い込むことで、菅政権に大ダメージを与えたい政治的思惑がうかがえはしないか。
国民の大きな楽しみとアスリートの夢を奪い、国家に莫大(ばくだい)な経済的損失を与えてまで衆院選を有利に運びたいというのだろうか。
いや、五輪中止で日本が失うものは、経済分野以外にもたくさんある。一度手放せば、なかなか取り戻せない日本と日本人に対する信頼感もその一つである。
5月31日だったか、五輪の事前合宿に出発する前のソフトボール豪州代表選手の一人が、テレビのインタビューに緊張した面持ちでこう答えるのを見た。
「日本の皆さんに温かく迎えてもらうことを願う」
責任を軽々に放棄
日本は自ら手を挙げて五輪を招致し、「おもてなし」を約束して東京開催を勝ち取った。その責任を軽々に放棄するようでは、二度と日本の都市に五輪がくることはあるまい。日本は外国人に対して偏見を持ち避ける排外主義の国だとみられても、仕方あるまい。
「東京五輪開催を、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとしたい」
菅首相はかねてこう訴えている。人類がコロナに敗北した歴史を東京の地に刻んでどうするのか。先進7カ国(G7)をはじめ主要国中で際立って感染(陽性反応)者数が少ない日本が開催できないといえば、国際的評価は地に落ちよう。
政府は東京五輪を東日本大震災からの復興を内外に示す復興五輪と位置付けてきたが、そのアピールの機会も失う。五輪も開催できずに、本当の復興などできるものかといわれよう。
「東京五輪の失敗は中国政府にとってプロパガンダ上の大勝利となるだろう」
米紙ウォールストリート・ジャーナルは5月28日の社説でこう説いた。東京五輪が中止され、来年の北京冬季五輪が開かれれば、権威主義諸国が民主主義諸国に対する優越を誇示する結果を生むとの主張である。
日本の振る舞いが、民主主義が専制主義の後塵(こうじん)を拝してゆくきっかけになってはならない。
筆者:阿比留瑠比(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)
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2021年6月3日付産経新聞【阿比留瑠比の極言御免】を転載しています