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来年(2025年)、日本に原爆が投下されて80年の節目を迎えるのを前に、日米共同制作劇映画『WHAT DIVIDES US』(原題)の制作が発表された。2014年から構想10年、22年から脚本開発してきた本作は、世界に初めて原爆の真実を伝えた一人のアメリカ人ジャーナリストと、取材・執筆に協力した一人の日本人牧師のヒューマンドラマ。来年、アメリカと日本で撮影、その後、世界公開予定。
1945年8月6日(米国時間では5日)、世界初の原子爆弾が広島に、3日後に2つ目の原子爆弾が長崎に投下された。アメリカ政府や軍が、広島・長崎の惨禍を秘匿する中、大きなリスクを冒して広島に取材に入り、被爆者の声を世界に伝えようとしたジャーナリストがいた。その名は、ジョン・ハーシー。
そんなハーシーと奇跡的に出会ったのが、アメリカの大学院で学んだ経験を持つ谷本清牧師。ハーシーに広島の原爆投下直後の様子、人々の苦悩を克明に伝えた(「Hiroshima」に登場する6人の1人)。
軍部からの圧力の中、「ニューヨーカー」誌はその存続をかけて1946年8月、「Hiroshima」を掲載。原爆投下後の日本を詳細に描いたルポで広島の核兵器による惨禍を初めて知った世界は驚愕し、戦後の核兵器に対する人々の考え方に大きな影響を与えることになる。
この「Hiroshima」を題材にした初の劇映画となる本作では、原爆投下後の広島を被爆者の目撃証言を通して地面から描写し、そこにある苦悩と真実を記憶に刻み、原爆の実相を伝えた「Hiroshima」が、現代にも響くその意味を浮き彫りにし、「核兵器に基づく世界の体制とは何か」をあらためて世に問う。同時に、谷本牧師の未発表の回想録にもインスピレーションを受け、日本人の視点からも原爆の真実に迫る。
プロデューサー陣はアメリカから、ジョン・ハーシーの孫でアーティスト・映画プロデューサーのキャノン・ハーシー(「Hiroshima」がテーマのドキュメンタリー「Hiroshima Revealed」で知られる)。『ハワーズエンド』『日の名残り』『ツリー・オブ・ライフ』など、カンヌ国際映画祭やアカデミー賞受賞作を数多く手がけ、NYを拠点にしている映画プロデューサーのドナルド・ローゼンフェルド。
LAを拠点とする映画・テレビプロデューサー・セールスエグゼクティブで『エフィー・グレイ』『クリーチャー・フィーチャーズ』『インフォデミック』で知られるロビン・ローゼンフェルド。
日本からは、『龍馬伝』『エール』『37セカンズ』『太陽の子』を手がけた元NHKのプロデューサー、土屋勝裕。ピーバディ賞受賞のNYのドキュメンタリー・映画プロデューサーの西前拓が名を連ねる。
脚本は、テレンス・マリック監督『名もなき生涯』で知られるエリザベス・ベントリー。エグゼクティブプロデューサーに、谷本家の近藤紘子氏(生後8ヶ月で被爆し、「Hiroshima」にも登場)、谷本建氏、谷本純氏、谷本信氏、河本加奈枝氏が参画している。
昨年公開され、アカデミー賞を総なめにした映画『オッペンハイマー』は、原子爆弾の開発に成功し、「原爆の父」と呼ばれた物理学者ロバート・オッペンハイマーの知られざる人生を描いた歴史ドラマ。核兵器に対する意識を高め、特に若い世代に核の時代への深い関心を呼び起こした。
本作はその関心に応え、『オッペンハイマー』で語られなかった原爆の真の姿を描く、『オッペンハイマー』に対する日本からのアンサーとなる。
■ジョン・ハーシー(1914-93年)
宣教師の両親のもと中国・天津生まれ、第二次大戦中「タイム・ライフ」誌の特派員として太平洋戦線、中国から報道。1944年「アダノの鐘」でピューリッツァー賞受賞。1946年厳しい情報統制下広島に赴き「Hiroshima」をThe New Yorker誌に発表。世界的な反響を呼び今もロングセラーとなっている「Hiroshima」はNY大学ジャーナリズム学部が主催する協議会で20世紀のアメリカジャーナリズムTop100の第一位に選出。長らく「Hiroshima」について公の場で語ることはなかったが、1985年広島を再訪し「ヒロシマ・その後」を著す。
■谷本清(1909-86年)
香川県出身。関西学院大学神学部を卒業後、1940年に渡米しエモリー大学大学院を修了。1943年に広島流川教会の牧師に就任。1946年広島に来たジョン・ハーシーと奇跡的に出会い、広島の原爆投下直後の様子、人々の苦悩を克明に伝え、ジョン・ハーシーが被爆の実相を世界に伝える礎となった。生涯を通して被爆者の支援に尽力し「ノー・モア・ヒロシマ」を唱え、被爆した孤児たちの救済活動や「原爆乙女」をアメリカで治療する活動も行った。1985年ジョン・ハーシーと再会を果たし「ヒロシマ・その後」の執筆に協力。
(ORICON News)