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2022年10月、国際捕鯨委員会(IWC)第68回総会がスロベニアのポルトロシュで開催された。対面形式での開催は、COVID-19 Pandemic のために延期されてきたために、2018年の第67回総会以来4年ぶりの開催となった。
また第68回総会は、IWCを2019年に脱退した日本が、初めてオブザーバーとして参加した会合でもある。オブザーバーとなった日本は、会議での発言や文書の提出は許されるが、IWCとしての意思決定に際しての投票権は持っていない。
4年ぶりに開催されたIWC第68回総会には、注目すべき争点がいくつかある。
IWCはどこへ向かうのか
長年IWCに出席してきた者からすれば、第68回総会はIWC特有の対立があまり見られない、静かな会議であったという印象だろう。捕鯨支持国(鯨を含む水棲生物資源の持続的利用を支持する国)の雄である日本が脱退した今、対立の火種が減ったか、無くなってしまったということであろうか。
他方、日本が脱退した後でも、IWCにはノルウェーやアイスランドなどの捕鯨国や30か国を超える持続的利用支持国が存在する。また、第68回総会の議題には、南大西洋サンクチュアリー提案(南大西洋を鯨の聖域とする提案)という、持続的利用支持国が一貫して反対してきた提案が含まれていた。さらに、持続的利用支持国側からも、2件の決議案が提出されていた。1件はクジラを食料安全保障の中で食料と位置付ける決議である。もう1件は、国際捕鯨委員会を、その名前の通り捕鯨を認め、捕鯨を管理する組織として復活させ、商業捕鯨モラトリアムも撤廃するという決議である。当然これらの決議は反捕鯨国側からすれば到底受け入れることはできない。
それではなぜ第68回総会は対立色が低下した会議となったのか。その原因としては、いくつかの要因が考えられる。
日本が脱退して対立構図が弱まったことも一因であるのは間違いない。しかしながら、より大きな要因が少なくとも二つは考えられる。一つは前回の第67回総会から既に顕著であった、IWCのクジラ保護機関化の進行である。反捕鯨国の関心は、捕鯨に反対することから、クジラを保護するプログラムを推進することにシフトしている。対立に不毛な時間と労力を費やすよりは、鯨の混獲回避、気候変動への対応、プラスチックゴミ問題などに取り組む方が重要というわけである。そのような活動が強化されればされるほど、IWCは実態の上で変容していく。そしてすでにそのような実績が積み上げられているのである。
もう一つは、後述するようにIWCは重大な財政危機に直面しており、第68回総会においてなんらかの対策が合意されない限り、数年で財政破綻するという現実があったことである。第68回総会では捕鯨をめぐって対立する議論に時間を当てる余裕などなかったと言っていい。事実、第68回総会の多くの時間はこの財政問題に関する議論に充てられた。
第68回総会の結果を見ていく前に、述べておくべきことがある。すなわち、日本のオブザーバー参加の背景である。
日本はなぜIWCにオブザーバーとして参加し続けるのか
日本は2019年6月30日をもってIWCを脱退し、自国の領海と排他的経済水域の中で商業捕鯨を再開した。それなのに、なぜまだIWCにオブザーバーとしてとどまり続けるのか、と疑問に思う向きもあろう。この疑問に答えるためには、日本にとってのIWCにおける政策目標を理解する必要がある。
一般には、商業捕鯨再開が日本にとっての唯一無二の政策目標であると言う理解が支配的ではないだろうか。この理解に基づけば、IWCから脱退し、商業捕鯨を再開した今、IWCにオブザーバーとして留まる意味は薄い。しかし、商業捕鯨再開だけが日本のIWCでの政策目標ではない。IWCにおいて、日本を含む40カ国近い加盟国が、自らを持続的利用支持派と呼ぶことが如実に示すように、持続的利用の原則を守り、促進することがもう一つの政策目標である。この持続的利用原則の堅持は、日本にとって商業捕鯨再開と同等の重要性を持つ政策目標である。この政策目標は、日本のIWC脱退によって達成されるものではない。
なぜ、IWCにおける我々の政策目標が持続的利用原則の堅持なのか。反捕鯨国やNGOは、クジラは特別な動物であって、ミンククジラのように資源量が豊富なことが科学的に証明されている種であっても、その捕獲はいっさい認めないという立場である。これは国連を含む国際社会が広く支持する持続的利用の原則に反する。この、反持続的利用原則の考え方がクジラに限定されるのであれば、まだ影響は捕鯨実施国だけにとどまる。しかし、実はこの反持続的利用の動きはクジラにとどまらない。
主に欧米先進国においては、ゾウ、サメ、クジラなど、いわゆるカリスマ動物については、その個体数が豊富で、一定量の持続可能な利用が科学的に可能であっても、捕獲をいっさい禁止して完全に保護すべきであるという意識が強い。これは、手付かずの自然を守るという考え方に似ており、環境保護問題として位置づけられがちである。しかし、持続的利用の原則を無視した、カリスマ動物保護の主張は環境保護問題ではない。それは、環境保護の名の下での、特定の価値観の他への押し付けである。
ライオンやゾウは先進国で豊かな生活を送る人間にとっては、強く、美しい動物で、自然への憧れを具現化した存在であろう。しかし、アフリカの自然環境の中で暮らす住人にとっては、ライオンは人の命を奪うこともある獰猛で危険な存在である。ゾウの個体数が多い南部アフリカ諸国では、ゾウは農作物を荒らす動物である。先進国の環境保護勢力が、時に現地住人の生活を制限してもカリスマ動物の保護を求めることが、環境植民地主義や環境帝国主義と呼ばれる理由はここにある。
IWCでの対立の構図は、この問題との共通項が非常に多い。クジラが特別な動物であると感じる反捕鯨勢力は、ミンククジラのように資源量が豊富な鯨種の持続的利用も認めない。捕鯨国や持続的利用支持国からすれば、科学的根拠のない主張を押し付けられていると感じられる。そのため、IWCの議論において持続的利用の原則を曲げるような、特定の価値観や倫理観が他の価値観を否定するような流れが容認されれば、他の持続的利用の原則に関わる諸問題にも悪影響が及ぶという懸念が強い。
日本は、この持続的利用の原則における、捕鯨問題という象徴的問題に対応し続けるために、IWCにオブザーバー参加するのである。また、IWCでの、他の持続的利用支持国との連携の維持と強化は、他の国際機関での連携にもつながっている。商業捕鯨が再開できたからといって、日本がIWCから消えれば、それは日本の自己中心的自分勝手であり、他の国際機関における日本への信頼を損ねる。自分のことしか考えない国に、協力を求められても、誰も相手にはしてくれない。
IWCは近く財政破綻する?
今回の第68回IWCにとっての最重要課題は、その財政問題であった。この問題は日本の脱退以前から認識されていた問題であるが、なんら有効な対策は講じられてこなかった。このままの状況が続けば、IWCは2025年には財政破綻する。さらに破綻が早まる可能性すらある。IWCは今回の会合でなんらかの根本的な対策に合意する必要があった。
なぜIWCは財政破綻の危機に直面することとなったのか。原因は複合的である。しかし、最大の原因は、IWCが収入を増やすことをしないで、新しいプログラムを次々に立ち上げてきたことにある。そしてこれらの全てが、クジラ保護のための、いわゆるconservation programs である。例えば、近年のIWCの成果として取り上げられるホエールウォッチングのガイドラインや、網やロープに絡まったクジラのレスキューのプログラムなどがこれに当たる。反捕鯨国やNGOからの寄付も多額にのぼるが、人件費の増加などIWCの予算への負担も大きい。
収入が増えないのに、次々に新しい買い物をし続ければ当然家計は厳しくなる。IWCの場合、収入は加盟国からの分担金で、これは増加していない。分担金を値上げする提案は何度も行われたが、加盟国からの反対にあって実現しなかった。その一方で、新たなプログラムを実施するために、支出は常に収入を上回った。deficit budget である。その不足分は、家庭の貯蓄にあたるgeneral fund から支出してきたが、それがついに2025年には底をつくと予想されているのである。
財政破綻の理由は他にもある。IWCの事務局は英国ケンブリッジの近くにあり、その予算はポンド立てになっている。そのポンドが、英国のEU離脱により価値が低下した。ポンドの購買力の下落である。英国以外で会議を開催する場合や、事務局員が英国の外に出張する場合には、以前以上のポンドが必要となったのである。
さらに、近年は英国のインフレ率が上昇し、英国国内でもポンドの購買力が低下した。
さらに加えて、加盟国の分担金未払いや遅延が目立つ状況となってきた。これは以前から顕著となりつつあった。しかし、コロナ禍やウクライナ情勢は各国の財政状況をさらに悪化させ、IWCに限らず国際機関への分担金支払いが困難となる国が多くなっている。
その中で日本がIWCから脱退し、IWCは収入の約8%から9%を失った。
第68回会合に向けて、この財政危機への対応策が検討され、作業部会からは、分担金の値上げ、支出の大幅削減、双方の組み合わせのオプションが提示されていた。財政破綻の危機に直面しながらも、議論は膠着状態が続いた。多くの加盟国は、従来から国際機関の分担金増加に反対の方針であり、さらに、コロナ禍とウクライナ情勢による食糧危機とエネルギー危機による各国の財政悪化が重なり、分担金増額は到底無理というのが現実であった。
他方、conservation program の予算削減も反捕鯨国が強く抵抗した。結果的には、科学委員会の予算が大幅に削減されることとなった。科学委員会の予算は従来から削減を受けており、IWCとしては科学予算の削減が最も受け入れられやすいということを示している。鯨類の保存管理の基礎であるべき科学調査などの予算がさらに削減されるという事実は、IWCにとって科学の重要性がさらに低下しているということを如実に示していると言えよう。
先進国 vs 開発途上国
IWCの財政危機をめぐる議論は、もう一つの問題を浮き彫りにした。それは、先進国と開発途上国の対立、または開発途上国、特に持続的利用支持国の先進国に対する不信である。反捕鯨国に対する環境帝国主義、環境植民地主義という批判とも通じる観点である。2022年11月には気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)、ワシントン条約(CITES)第19回締約国会議など、重要な国際会議が開催されたが、これらの会議においても開発途上国と先進国との間の対立、意識の違い、相互不信が顕在化した。
前者ではLoss and Damage Fund 気候変動による洪水や国土侵食によって開発途上国が被った損害と損失に対して補償する基金の提案をめぐって議論が紛糾した。また、CITESでは、開発途上国の住民の社会経済的関心を無視し続ける議論に反発し、タンザニアが多数の開発途上国のCITESからの脱退を警告するという事態が生じている。
これらの事例は一体なぜ発生し、何を意味するのであろうか。
世界の法的秩序や国際組織、社会的経済的システムは、現在の欧米先進諸国が中心となって構築してきた。日本を含む非欧米諸国は、これらのシステムを受け入れ、適応し、欧米先進国の仲間入りを果たすことを目的として努力してきたという側面がある。現在の開発途上国の多くも、同様の目的意識に基づいてdevelop していくことを目標としている。それが疑いのない発展と幸福に向かう未来像であった。
しかし、その未来像が近年崩れ始めてきている。気候変動が着実に進行し、たとえ直ちに温室効果ガスの排出がゼロになったとしても、急ブレーキをかけた車がその場で停止できないのと同様に、おそらく今後数十年は気候変動が進行していく。その中で、グリーンエコノミー、脱炭素化など、新たなパラダイムが提唱されているが、開発途上国にとっては地球環境の未来のために、今までのような経済発展のシナリオは諦めろ、と言われているに等しい。地球環境を破壊してきた先進国のツケを、発展途上国に払えというわけである。
このツケ回しの構図が、非欧米先進諸国の中に疑問を生んだのではないだろうか。欧米先進国が辿ってきた発展の道を追うことは果たして正しいのか?欧米先進国が作り上げてきた世界の法的秩序や国際組織、社会経済システムは、自分達の社会、文化、価値観、慣習と相容れないものではないのか。それらを受け入れるために大きなものを失っているのではないだろうか?発展途上国や非欧米諸国により適したシステムや方法があるのではないか?欧米先進国は、科学と技術、ルールの尊重を謳うが、それは先進国に都合のいい主張ではないだろうか?非欧米先進諸国は、環境問題を含め、欧米先進諸国の考え方やルールを知らず知らずのうちに押し付けられてきたのではないか?
これらの疑問は、捕鯨問題をめぐる議論の中で多くの持続的利用支持国が感じてきた疑問である。それを端的に表現したものが環境帝国主義、環境植民地主義という言葉であろう。
筆者:森下丈二(東京海洋大学教授)
Whaling Today 英文記事
- (Part1) IWC68: Reflections on the Future of the International Whaling Commission
- (Part2) IWC68: An International Whaling Commission in Crisis
- (Part3) IWC68: New Contested Issues Emerging from the South
- (Part4) IWC68: ‘Sustainable Use’ is the Next Challenge