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月刊『Hanada』の「安倍晋三元総理追悼大特集号」(9月特大号)を手に取ると、戦略論研究の世界的権威として知られ、安倍氏とたびたび意見交換してきた米歴史家のエドワード・ルトワック氏が、こう振り返っていた。
「私は世界各国の首脳やトップに対して定期的にアドバイスを行っており、実に光栄なことだと思っているが、安倍晋三というリーダーは、そうした世界のリーダーたちとはさらに別ランクの人間であると本心から思った。何がその差を生んでいるかといえば、彼には『深み』がある」
あまりに皮相的で、醜聞探しばかりを好む日本の安倍氏をめぐる報道との落差に、思わずめまいすら覚えた。ルトワック氏は15日の本紙朝刊でも、こんなコメントを寄せている。
「安倍氏は戦略を学問として研究したことはないが、戦略を本能的に理解し、生まれつき戦略的な思考を身につけていた」
実は以前、これとほぼ同じ趣旨の話を聞いたことがあった。安倍政権時代、安倍氏とルトワック氏との会談に同席した外務省幹部からである。幹部が安倍氏をどう見たかと尋ねると、ルトワック氏は答えた。
「私は安倍氏にいろいろな話をした。中国の習近平国家主席についてもインドのモディ首相についてもレクチャーしたが、安倍氏は全部分かっていた。安倍氏に教えることは何もない。彼はおそらく学問的に戦略論を系統的に学んだわけではないだろうが、生まれついての戦略家だ」
そこで、幹部が「生まれついての戦略家というと、ほかに誰がいるのか」と聞いたところ、ルトワック氏は少し考えてこう語った。
「英国のチャーチル元首相がいる」
第二次世界大戦の最中に首相に就き、危機的状況にあった英国を勝利に導いたチャーチルの名が飛び出したことに、幹部は驚くとともに納得したと話した。
チャーチルの言葉を、安倍氏自身が用いることもあった。特に印象深かったのは、第1次安倍政権下の平成19年3月に行われた防衛大学校卒業式での訓示である。安倍氏は自衛隊幹部となる卒業生に、「思索し、決断する幹部」であれと求め、チャーチルの回顧録『第二次世界大戦』から次の部分を引用した。
「慎重と自制を説く忠言が、いかに致命的危険の主因となり得るか、また、安全と平穏の生活を求めて採用された中道は、いかに災害の中心点へ結びつくか」
そのうえで安倍氏は、こう訴えていた。
「特に申し上げたいのは、諸君が将来直面するであろう『危機』に臨んでは、右と左とを足して2で割るような結論が、こうした状況に真に適合したものとはならないということです。(中略)時に応じて自らの信じるところに従って的確な決断をすることが必要となる」
その安倍氏が暗殺されていなくなると、自民党内で早速「足して2で割る」ような議論が出始めた。緊縮財政派の宮沢洋一税調会長は、24日のBSテレ東番組で防衛費を国内総生産(GDP)比2%にまで拡充していく方針を牽制(けんせい)した。
「本当に防衛費がそこまで必要であれば、社会保障の水準を少し切り下げてもよいのかという議論は当然しなければならない」
安倍氏が主張した防衛国債導入案は無視し、社会保障費を人質にして、防衛費をそんなに増やすのは無理だと言いたいのだろう。だが、この論法こそが安倍氏がいう「危機に適合できない中道」ではないか。
筆者:阿比留瑠比(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)
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2022年7月28日付産経新聞【阿比留瑠比の極言御免】を転載しています