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ニット製造を手掛ける福井の町工場と大手メーカー、大学の3者が取り組んだ10年にわたる医療機器開発プロジェクトがついに結実した。先天性心疾患の手術で使う心・血管修復パッチ「シンフォリウム」。ニットの高度な編み込み技術を応用し、既製品にない伸縮性と強度を実現、心臓の成長に合わせてパッチも伸びるため再手術が不要になると期待されている。保険適用で6月12日から販売がスタートした。
ニット生地製造の福井経編(たてあみ)興業(福井市)▽繊維大手、帝人(大阪市)▽大阪医科薬科大(大阪府高槻市)-の共同開発。同大教授で心臓血管外科医の根本慎太郎氏が福井経編の技術力に注目し協力を打診。平成26年に研究に着手し、昨年7月に厚生労働省から製造販売を正式承認された。
生まれつき心臓に病気を抱える赤ちゃんは100人に1人の割合でいるとされる。狭くなっている血管を拡張したり、心室の欠損部をふさいだりするため、手術でパッチを埋め込む。これまで動物由来や合成素材のものが用いられてきたが、伸縮性がないため成長に伴って再手術が必要となり、本人や保護者の負担が大きかった。
新製品のシンフォリウムは2種類の糸を編み込んで生地をつくり、全体をゼラチン素材で覆っている。時間経過とともにゼラチンが自己組織に置き換わり、片方の糸も体内に吸収される。残ったもう1種類の糸は片方が吸収された影響で編み目が緩く広がるため、心臓の成長に対応できる。
令和元~4年に0歳から成人までの患者34人に臨床試験を実施。術後1年でパッチの不具合による死亡や再手術などの事例は見られなかった。
福井経編によるシンフォリウム開発の経緯は、町工場が心臓病患者のための医療機器開発に奮闘する池井戸潤さんの小説『下町ロケット2 ガウディ計画』(小学館)のモデルになった。
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産学の垣根越えて「心臓病の子供救う」 困難極めた10年超、執念の実用化
町工場と大手メーカー、研究機関。産学の垣根を越えた異色のプロジェクトは10年超に及んだ。「絶対に成功させる」。実際の手術にも立ち会った担当者たちの執念が小さな心臓に寄り添う製品を生み出した。
「なんて時間がかかる案件なんだと思ったが、終わってしまえばあっという間。これで子供たちを救えると思うと、わくわくする」
福井市のニット生地製造会社・福井経編(たてあみ)興業の高木義秀社長が笑顔で語る。シンフォリウムの骨格は2種類の糸を高度に編み込んだ生地で形成されている。同社が長年培った高い技術力がこれを可能にした。
同社が畑違いの医療機器に挑戦するのは、実は今回が初めてではない。
約10年前、難しいとされていた絹を編み上げる技術を確立させたことがきっかけで、東京農工大のグループと絹を使った人工血管の開発に着手。小口径の人工血管の実用化に道を開いたとして注目された。そしてこの業績に目をつけたのが、大阪医科薬科大教授で心臓血管外科医の根本慎太郎さんだった。
先天性心疾患の手術に使う従来のパッチは伸縮性がなく、埋め込めば再手術が必要になる。費用は数百万円で、6歳未満なら自己負担は2割、さらに高額療養費制度により減額されるとはいえ、患者側の負担は決して小さくない。心臓の成長に対応できるパッチが求められていた。
「当初、根本先生からシンフォリウムのアイデアを聞いたときは、正直深入りすると大変だなと思った」と高木さん。製品の不具合は命に関わる。責任の重さに尻込みする気持ちもあった。
開発段階で高木さんは、根本さんが執刀する先天性心疾患の子供の手術に立ち会った。
通常、心臓の手術は、人工心肺装置を使い、いったん心停止させた状態で行う。手術が始まり、人工心肺に切り替わると心拍などを示すモニターが波形からフラットに変わった。数時間経過した手術の終盤、再び心臓を動かす段階に。高木さんは食い入るようにモニターを見つめた。
「頑張れ、頑張れ」。ピンポン球程度の心臓が再び脈を打つ。フラットから波形へ、小さい体が刻む懸命な鼓動に涙が止まらなかった。「絶対にプロジェクトを成功させる。あのとき、そう強く思った」
編み込みに使う2種類の糸のうち、片方だけを体内で吸収させることで編み目を広げる-。複雑な構造の実現は容易ではなかったが、技術職の社員や根本さんらと何度も議論を重ねた。根本さんは「ときには酒を酌み交わしながら、ああでもない、こうでもないと言い合って、一緒に走ってきた」と振り返る。
生地が完成してからは合成繊維大手の帝人も参画。編み目を覆う素材の開発に携わった。コーティングするだけなら簡単だが、編み物の伸縮性を阻害しては意味がない。山ほどあるサンプルを一つ一つ試し、たどり着いたのがゼラチン。「答えが分かれば簡単だが見つかるまでが大変だった」と同社の開発担当者。その後、効果の検証などに数年かかった。
根本さんは「小児領域は市場が小さく、ビジネスにならないのが実情だが、それでも協力してくれた」と2社に謝意を示す。高木さんは「プロジェクトの期間中、誰のために仕事をしているのかを社員たちに伝えてきた。日本にはまだまだ技術力がある。それをこれからも生かしていきたい」と力を込めた。
筆者:小川恵理子(産経新聞)