~~
6月3日、第244回目の英国ダービー。オーギュストロダン(アイルランド=エイダン・オブライエン厩舎、牡)が中団の後ろから直線で力強く伸び、粘るキングオブスティールをかわして優勝した。オーギュストロダンは、日本の7冠馬ディープインパクトが残した最終世代の一頭で、ディープ産駒による英ダービー制覇は初めて。イギリスのクラシックレースでは、サクソンウォリアー(2018年2000ギニー)、スノーフォール(2021年オークス)に次いで同産駒3頭目のVとなった。
国内では、4月30日の天皇賞(春)ジャスティンパレスの勝利で、ディープ産駒はJRA・GⅠ通算71勝目となり、ディープの父でもあるサンデーサイレンスが保持していた種牡馬のJRA・GⅠ最多勝利記録に並んだ。3月には産駒のJRA通算勝利数が史上最速で2700勝に達しており、血統の活躍に期待が集まる。
ディープインパクトとはどのような馬だったのか―現役時代のディープをもっとも身近で取材してきた記者が、改めてその答えに迫る。
◇
2019年7月30日。日本の競馬界をリードしてきた1頭の鹿毛馬死亡のニュースが、列島のみならず、世界中を駆け巡った。英雄と称されたその馬の名は「ディープインパクト」。小柄な体ながらバネの効いた走りを主戦騎手の武豊は「空を飛んでいるよう」と称した。ファンはその強さに憧れ、熱狂し、敗戦に涙した。父としても多くの後継を残してきた平成を代表する歴史的名馬。死してなお、ファンの心をひきつける、この馬の魅力は何なのか。
3歳馬が生涯一度だけ出走できるクラシックレース。その初戦、2005年の皐月賞はディープインパクトの〝勝ち方〟に注目が集まっていた。単勝1.3倍と断然の1番人気に支持されたディープ。だが、スタートで予期せぬ出来事が起こる。ゲートが開いた瞬間つまずき、あわや落馬かというほど態勢を崩し、大きく出遅れてしまう。まさかの展開にスタンドを埋めた8万5000人の大観衆はどよめき、最悪の結末を予見した。ざわめきが止まない異様なムードの中でレースが進んでいく。
馬群が最後の直線を回ったときだった。そのどよめきが地鳴りのような大歓声に変わった。武豊のムチに反応したディープが、他馬が止まってみえるような次元の違う走りで大外を一気に突き抜けてきた。2着に2馬身の差をつけての快勝。名手はこの時の走りを「飛んでいる感じ」と表現した。衝撃の物語が大きなうねりとなって動き出した瞬間でもあった。
2004年4月、滋賀県・栗東トレーニングセンター。関西の名門・池江泰郎厩舎の前で、トレーナーは、入厩予定馬リストをみてこう『予言』していた。
「この馬が、将来はうちの厩舎の看板馬になる」。
メジロマックイーン、ステイゴールドなど数々の名馬を育て上げてきた名伯楽。堅実で慎重なトレーナーとしても有名で、決して大風呂敷を広げるタイプではない。その男が、デビューの8カ月も前に、ディープの類い稀な素質を見抜いていた。その後、最高級の輝きを放つ宝石は、まだ小さな原石にすぎなかったが、トレーナーにはすでに確信があった。
馬主の金子真人氏にとってもディープとの出会いは印象的なものだった。まさにそれは一目ぼれ。「瞳に吸い寄せられた深い衝撃が忘れられなかった」。
良血のサラブレッドは何億円という高額で取り引きされる。ディープインパクトは「ウインドインハーヘアの2002」として北海道のノーザンホースパークで行われた国内最大の競走馬競り市・セレクトセールに上場され、金子オーナーが7000万円(税抜き)で落札した。決して安い金額ではないが、父が日本の競馬地図を大きく塗り替えた大種牡馬のサンデーサイレンス。母がドイツのGⅠ馬という良血を考えれば、むしろ安価に分類される。小柄でそれほど見栄えがしなかったため、特別な存在ではなかった。のちにGⅠ7勝を挙げ、生涯獲得賞金14億5455万1000円、種牡馬として51億円のシンジゲートが組まれる歴史的な名馬になるとは、もちろん誰も知る由もない。
金子オーナーは、『競馬界に衝撃を与えたい』という願いを込めてディープインパクトと命名した。不世出の名馬の誕生は、世紀の一目ぼれから始まった。
牧場での幼少時代は、馬体が大きくならず完成度が少し遅れていた。それでも、走ることが大好きで、毎日、蹄が血だらけになるほど放牧地を駆け回った。育成が進むとその才能を示すようになり、騎乗者が「ゴムまりのように弾む」というほど乗り味が抜群。普通、馬はまっすぐにしか走れないが、ネコ科のように関節が軟らかいディープは横にも動けたという逸話があるほどだ。
「あの馬は動きが素軽い。バネが違う」
牧場で管理馬を視察した池江泰郎調教師も、小さな原石にくぎ付けになっていた。
ディープインパクトが滋賀県・栗東トレーニングセンターにある池江泰郎厩舎に入厩したのは、2004年9月8日。薄い皮膚、スマートな体つき、そして澄んだ瞳が印象的な馬だった。担当の市川明彦厩務員は「かわいいし、性格もおとなしい。女の子じゃないかと思って、思わず確認した」と股をのぞき込んだという。それほどまでに扱いやすい馬だった。
〝女の子のような馬〟が競馬場でベールを脱いだのは、3カ月後の12月19日。直線で軽く仕掛けられただけで圧勝した。デビュー前に武豊騎手は、「すごくいい馬。スピードがありすぎるくらい」と絶賛していたが、その勝ちっぷりは想像をはるかに超えていた。
そこから、連勝街道を突き進む。
皐月賞に続き、無敗のまま日本ダービー、菊花賞も制覇。1984年シンボリルドルフに次ぐ史上2頭目となる無敗のクラシック3冠馬に輝いた。
500キロを超える馬が主流のなかで、牡馬としては小柄な440キロほどの馬体から、ケタ違いの瞬発力を繰り出し直線で前の馬たちをごぼう抜きにする、豪快なレーススタイルにファンは熱狂した。〝飛ぶ走り〟が科学的に検証され、菊花賞では、レースレコードとなる13万6701人が来場。勝ち馬としては最高単勝支持率となる79.03%で、オッズは元返しの1.0倍。儲からないとわかっていても、ファンは、記念の単勝馬券を購入した。NHKでも特集番組が放送されるなど、ディープはさまざまな社会現象を生んだ。
後方から一瞬で抜き去る驚異的な末脚はまさに怪物。驚愕のパフォーマンスに度肝を抜かれたが、トレーニングセンターなどで見せる普段の様子にも周囲は驚かされた。強い馬のなかにはピリピリして威圧して見せたり、調教を積むうちにストレスを受けて嫌気が差したりする馬も少なくない。だが、ディープは「レースと調教は別」と言わんばかりに、いつも賢く、素直だった。
落ち着き払い、無駄な力を一切使わない。馬房に人が近づいても威嚇などせず、大好物のニンジン欲しさにスッと柔和な顔をのぞかせてくる。厩舎スタッフが教えたこともすぐにできてしまう優等生で、一流の血統と素直な性格から、厩舎スタッフがつけたあだ名は『お坊ちゃまくん』。競馬場では怪物、厩舎では素直な優等生。その大きなギャップが魅力であり、強さの秘密でもあった。
筆者:鈴木康之(元週刊Gallopディープインパクト担当記者)
■ディープインパクト 2002年3月25日、北海道早来町(現安平町)のノーザンファームで生まれる。鹿毛。父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア、母の父Alzao。馬主は金子真人ホールディングス(株)。現役時代は滋賀県栗東トレーニングセンターにある池江泰郎厩舎に所属。戦績は14戦12勝2着1回、失格1回(うち海外1戦0勝)。馬名の意味は英語で「深い印象」。表彰歴は2005年JRA年度代表馬、最優秀3歳牡馬、06年年度代表馬、最優秀4歳以上牡馬、08年JRA顕彰馬。05年7月発表のレーティングで日本馬初の「世界一位」に。獲得賞金14億5455万1000円。引退後、社台スタリオンステーションで種牡馬入り。2019年7月30日没。
2020年サンスポZBAT!記事を加筆修正したものです