~~
来年4月の2025年大阪・関西万博開幕まで半年を切った。総合人材サービス大手「パソナグループ」が出すパビリオンで、要人を迎えるスタッフのイブニングドレス計20着を制作するのが、神戸市に住む97歳の現役デザイナー、藤本ハルミさんだ。西陣織、友禅染など伝統工芸をいかしたオートクチュール(高級注文服)を長年手掛けてきた藤本さん。万博でもその腕を振るい、日本の魅力を世界へ発信する。
神戸市のマンション5階にある仕事場。花、松、ススキ…。多彩なデザインのドレスがズラリ並ぶ。着物地や帯地でつくったもので、パソナのパビリオンで着用される。
「『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』と名づけたばかりなのよ」。こう言って手を触れたドレスは、黒地に金や赤が鮮やかな図柄で、アゲハ蝶が葉の周りを舞っている。「しっかりしたデザインなので、合う名前を辞書を調べながら考えた」
このほか藤本さんが名付けたドレスは「菊重ね」「寂光」「華宴」-。文学少女を自任するセンスが光る。
昭和2年生まれ。年齢を感じさせない元気さで、かくしゃくとして滑舌が良い。問いにも即座にユーモアを交え切り返す。
「特別な健康法はない。お酒が飲めないから夜の付き合いはあまりしないわね」
父親が船乗りだったこともあり、幼いころから舶来の家具や食器に触れていた。戦後、東京の洋裁学校で学び、昭和29年に神戸市で洋裁店をオープンして繁盛させた。
転機は1960年代の初めての欧州旅行。日本と違って気候は乾燥し、人々の体形も違う。洋服は長い歴史を経て西洋人に合うよう発展してきた。日本人も洋服を着るようになっていたが、「着物に返るべきではないか」と考え、着物地や帯地を使ったドレスを作るようになった。
昭和43年の神戸市を皮切りに、国内外でショーを開いてきた。憧れのパリで初めて開催したのは70歳のとき。作家の田辺聖子さんらそうそうたる顔ぶれがファンとなった。
パソナの南部靖之代表とは「何十年もの知り合い」という。「イタリアのフィレンツェへ行ったとき、(高級ブランドを創業した)フェラガモの家へ連れて行ってくれたのも南部さん」。万博へ〝参加〟することになったのは、そんな縁もある。
1970年大阪万博には思い出がある。
「南方と思われる国のパビリオンからきれいな女の子が出てきた。民族衣装なのか、ブルーと白のコーディネートで、頭の飾りが変わっていて、ものすごく新鮮だった」
2025年万博については「150カ国くらいが出てくる(出展する)。遠い日本まで来て、彼らは一生懸命、最高の自分を見せようとがんばると思う」とする。
めいやおいには手紙を出した。「実際に海外へ出かけ、150もの国は訪ねられへん。(彼らが一堂に会するチャンスなのだから)万博は絶対行かなあかんよと」
そして、関西は万博を機に盛り上がるべきだと話す。「今がんばらな、いつがんばるんよ」
思い出すのは東京でショーを開いたとき、ある女性の次の褒め言葉だ。「素晴らしかった。(千年以上)都があった上方は、やはり関東と違う」
西陣織や京友禅は、まさに上方文化の粋。万博を彩る藤本さんの〝作品〟は、関西、そして日本の誇りを取り戻すきっかけとなるに違いない。
筆者:山口暢彦(産経新聞)