~~
南大西洋サンクチュアリー提案をめぐる攻防から見えてきた新たな争点
IWC68では、IWCがクジラ保護の国際機関へと変容していく傾向が過去にも増して明らかとなった。その中で、南アメリカ諸国が毎年提案し、今までは採択に至らなかった、南大西洋をクジラの聖域(サンクチュアリー)とするという提案が採択されるか否かは、IWC鯨保護機関化の今後を左右する争点となった。持続的利用支持国側が四分の1の票を確保すれば、採択に四分の三の得票が必要な本件提案は否決される。過去のIWCでは、経済的に豊かではない開発途上国がIWCへの分担金を支払うことが出来ず、その結果として投票権を失うという事態が多発した。
IWC68では新型コロナ禍で経済的な苦境に陥った国が多いという事情から、それが理由で分担金が払えない国には特別に投票権を認めるという特別措置が導入された。この特別措置のおかげで持続的利用支持国は十分な票数を確保することが可能となり、南大西洋サンクチュアリー提案を否決できると期待された。
しかし、開発途上国の経済的苦境は分担金の支払いのみに影響するのではない。上記の特別措置のおかげで投票権を回復しても、IWC68が開催されたスロベニアに代表団を派遣するための旅費が確保できないのである。さらに、旅費を確保しながらも、スロベニアを含むEUへの入国のビザ手続きに時間をとり、IWC68に参加できない持続的利用支持の開発途上国が相次いだ。我々は、これは開発途上国の、IWCの意思決定に参加するという意志と権利を損なうものであること、彼らが意思決定に参加できない今回の会合においては、南大西洋サンクチュアリー提案のような、意見が分かれている提案の投票は強行すべきではないこと、などを訴えたが、南アメリカ諸国は投票を求める意向であった。
そのため、持続的利用支持国は相談の末に、投票が行われる場合には会議に参加しないことを決めた。意思決定のためには定足数が満たされることが条件である。持続的利用支持国が会議に参加しなければ定足数が満たされない。結果的に、投票は成立せず、南大西洋サンクチュアリー提案は採択されなかった。
南アメリカ諸国は、これは意思決定を求める権利を否定するものであると、猛烈に反発した。しかし、持続的利用を支持する多くの国が、その意思決定に加わる権利を行使できなかったのである。重大な決定は、意思決定に参加する意志がある関係国すべての参加を得て行われるべきではないだろうか?
先進国の常識は開発途上国の常識ではない。
欧米先進国にとっては常識であることが、すべての国にとって常識であり、従って受け入れるべきである、と考えることは横暴であろう。
開発途上国の欧米先進国への反発と新たなパラダイムに向けての始動
IWC68では、捕鯨問題そのものに関する議論もさることながら、反捕鯨思想を含む欧米先進諸国が主導してきた概念や、欧米先進諸国が作り上げてきた世界の秩序やシステムに対する、持続的利用を支持する開発途上国の反発が目立った。日本が脱退して捕鯨論争の構図が変わったことも一因であるが、この開発途上国の動きは国際捕鯨委員会に限定されたことではない。あらゆる国際的な場面で、欧米先進国が常識と考える手続きや、グローバルスタンダード(国際捕鯨委員会で反捕鯨国がよく使う言葉でもある)として他の国に求める法律や政策に対する反発や見直しの要求が高まっている。
今回のIWC68で問題となり、南大西洋サンクチュアリー提案をめぐる攻防の一員となったビザの件もこの一例である。
多くの開発途上国にとって、スロベニアに入国するビザを取得することは容易ではない。多くの場合ビザさえ必要ではない先進諸国からすれば、想像できないような困難を伴う。アフリカの国であればそもそも自国にスロベニアの大使館や領事館が存在しない。リモートでの申請も認められない場合がほとんどで、スロベニア大使館や領事館がある近隣の国まで行ってビザを申請しなければならない。持続的利用支持国であるアフリカ大西洋岸諸国からの参加者は、往々にして旧宗主国であるフランスにまで赴いてビザを申請する。そしてそのビザが交付されるまで何日も待たされるのである。
財政問題やIWCの組織改革をめぐって、十分な意見交換が行われてきたことから決定が行われるべきという多くの先進国と、議論のための時間がもっと必要であるという開発途上国の間で意見の相違が明確であった。これは、捕鯨に関する立場の違いではなく、決定遅延作戦でもなく、欧米先進諸国と開発途上国の間の意見の相違である。
欧米先進諸国は多くの会議を開催し、膨大な書類や資料を作成し、詳細な報告書を作成し、それらを公表して、コメントや修正を求めることで、広範な議論と最大な透明性が確保されているという理解である。しかしこれは先進諸国の考え方であって、多くの開発途上国に共有された「常識」ではないことが、改めて明らかとなった。さらにこの認識の乖離はIWCに限ったものではない。国連をはじめとして様々な国際的な会議や議論の場で観察される状況である。
同様の状況に対し、国際社会は常に Capacity Building の必要性を認識し、条約や宣言など多数の文書に Capacity Building の促進が謳われている。しかし、キャパシティの不足が原因であり、Capacity Building が回答であろうか。今までの無数のCapacity Building の促進の条項は問題の解決につながっているであろうか。
筆者は長年様々な国際会議に参加してきた。漁業問題に限らず、国際機関の議論においては、欧米先進国が主導権、あるいはリーダーシップを担い、提案を行い議論の方向性をコントロールする場合が支配的である。利用可能な最新の科学的知見やグローバルスタンダードを示すのも、多くの場合は欧米先進国である。グローバルスタンダードとは欧米先進国スタンダードであるというのが実態であろう。国際会議の報告書はしばしば参加各国が提供するラポルツールと言われる人材が草案を作成するが、大抵は英語を母国語とする国から選ばれる。
開発途上国や日本を含む非欧米諸国は、これらの提案に受け身で対応し、ラポルツールが作成した報告書のドラフトをベースとして修正を提案する。言い換えれば、欧米先進諸国が用意した土俵の中で相撲をとっているのである。能力(国力)がある国々がリーダーシップをとることは間違いではないし、必要な場合さえある。しかし、そのリーダーシップが欧米がスタンダードだと考える一方、非欧米諸国や開発途上国にとっては彼らの国力や習慣、歴史、価値観にそぐわない基準を押し付けるものになってはいないだろうか。その欧米スタンダードは、本当に最適の解なのであろうか。
捕鯨問題に象徴される、鯨と捕鯨に関する根本的な考え方や立場の違い、それをめぐる時には感情的な対立の土台にも、同様の構図が背景にあるのではないか。捕鯨を重視していない開発途上国が、IWCにおいて鯨類を生物資源と見なしてサステイナブルに利用することを支持するのは、欧米先進国スタンダードとそれを強要する国々への反発もあるのではないだろうか。
同様の例は近年枚挙にいとまがない。従来の国際問題に関する議論では、欧米先進諸国から対応策が提案され、それがグローバルスタンダードとして見なされ、それを実施することが困難な開発途上国に対してはキャパシティビルディングの必要性が記録されるというのが定番であった。アジア諸国などの非欧米諸国は、たとえそこに違和感を感じようと、グローバルスタンダードを受け入れ、実行に努めてきた。しかし、近年はそのパターンに変化が見られる。
例えば、2012年にブラジルで開催された国連環境持続的開発会議(リオ+20)での成果文書であるThe Future We Want をめぐる議論である。採択された文書にはグリーンエコノミーの概念が規定された。しかし開発途上国からはこの概念に対して強い反発が表明されたのである。地球環境を破壊してきたのは欧米先進国であり、その欧米先進国が他の国々に対して、今までのような経済発展の構図は放棄して、環境にやさしいグリーンエコノミーに移行しろというのは自分勝手ではないかというわけである。ましてそれをグリーンスタンダードとして受け入れを迫ることへの反発もあった。この観点はその後さらに強まってきている。
リオ+20での、海洋をめぐる議論でも注目すべき事態が発生した。The Future We Want には、国連海洋法条約や国連公海漁業協定など、海洋問題に規範に当たる国際文書に関する規定が含まれている。
このような広く規範文書と見なされている文書に関する規定は、大きな対立や議論もなく受け入れられてきた。大抵は、これら文書が国際的規範であることを認識し、まだ加盟や批准を終了していない国は、早期にそうすることを求めると言った内容が標準的である。しかし、リオ+20ではこれに開発途上国を中心とした国々から異論が表明されたのである。筆者の理解では、これも西側先進諸国が主導してきた法的、概念的な規範への反発が底流にあるのではないかと感じている。
結果的には、The Future We Want のこれら規範文書に関する規定は、すでに加盟や批准している国は、その規範の実現を図るように、との、言わずもがなの内容となって採択されたのである。
気候変動枠組条約のCOP27での損害と損失基金をめぐる議論、CITES COP19での開発途上国からの反発、そしてIWC68での議論に共通点を見ることができるだろう。他の国際機関における議論においても、同様な展開が無視できないレベルにあり、ウクライナ紛争、COVID19などによって生じた世界情勢の不安定化が、この展開にさらにエネルギーを与えている。刮目して見ていくべき状況であろう。
IWCのかじ取り役にギニア共和国が就任
新たなIWCの議長はギニアのテリベル・ディアロ氏である。
ディアロ氏は1990年代からIWCに出席し、鯨の持続可能な利用を支持し、また開発途上国の関心と利益を代表してきた論客である。本稿で考察してきた国際交渉のパラダイムシフト、言い換えれば、欧米先進諸国の主導してきたグローバルスタンダードへの疑問の拡大と反発が進む時期に、IWCの議長が彼になったことは意義深い。
ディアロ氏が2年間の議長任期の間にIWCをどの方向に導いていくのか、行くべきであるのか?
開発途上国、特に持続的利用を支持する開発途上国が、確実かつ十分にIWCの議論と意思決定に参画できる仕組みを構築するということは、言うまでもなく重要な課題である。しかしそれだけでは不十分であろう。IWCというクジラと捕鯨に関する考え方が全く異なる国々が参加し、対立する現状に対して、国際捕鯨取締条約の規定を、着実かつ異なる意見の間のバランスを考慮した形で遵守するための指針を示すことが、開発途上国出身の議長の使命であり、またチャンスでもある。
そのための具体策の萌芽は、実はすでに示されている。20XX年に実施された外部専門家によるIWCのパフォーマンスレビューの結果提出された、多くの勧告を実行に移すために設立された Working Group on Operational Effectiveness (WGOE) の提案である。これら勧告を実行に移し、その過程において開発途上国の関心と権利が最大限に尊重される仕組みを確保することがディアロ氏のミッションではないだろうか。
WGOE の提案には多くの項目が含まれているが、注目すべきは、組織と運営の改革の一つとしての管理委員会の設立と、それに関連したIWCとしての戦略計画(strategic plan)及び作業計画(work plan)の作成である。これらがIWCの将来を左右するものであることは想像に難くない。ディアロ新議長がこれらの課題をどう導いていくのか、注目していきたい。
筆者:森下丈二(東京海洋大学教授)
Whaling Today 英文記事