Kyiv

Townscape of Shana, Etorofu Island, Northern Territories, on February 2, 2023 (©Kyodo).

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ロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻から間もなく1年となる中、2月7日の「北方領土の日」を迎えた。

 

日本固有の領土である北方四島は1945(昭和20)年夏の終戦直後、今のウクライナと同様にソ連の独裁者、スターリンに侵略され、不法に占領された。いずれも紛れもない国際的暴挙である。

 

日本は今年、主要7カ国(G7)の議長国である。岸田文雄首相は5月の広島サミットなどの外交機会を捉えて「四島返還」の正当性をG7首脳に主張し、認識を共有すべきだ。ロシアが過去も現在も他国の領土を平然と蹂躙(じゅうりん)する無法国家である事実を国際社会に訴えなければならない。

 

令和5年北方領土返還要求全国大会に出席し挨拶する岸田文雄首相=2月7日午後、東京都千代田区(寺河内美奈撮影)

 

政策を転換したならば

 

岸田首相は1月の米国での演説で、「私は外交・安全保障政策で2つの大きな決断をした。1つはロシアのウクライナ侵略に際しての対露政策の転換だ。厳しい対露制裁を導入し、ウクライナ人道支援でも先陣を切った。もう1つは安保3文書の策定による戦後の日本の安保政策の転換だ」と述べた。

 

令和5年北方領土返還要求全国大会に出席し挨拶する岸田文雄首相=2月7日午後、東京都千代田区(寺河内美奈撮影)

 

欧米の経済制裁の隊列に加わったことは評価できる。ならば、ウクライナ侵略が自由・民主主義陣営の存亡を懸けた国際問題であるのと同様、北方領土の不法占領問題も日露2国間だけにとどめ置いてはならない。首相が対露政策の転換を語るなら、北方領土問題を世界が共有すべきこととして「国際化」するための戦略転換も説くべきではないか。

 

四島の不法占拠は、スターリンが日ソ中立条約を一方的に破り、「領土不拡大」をうたった
大西洋憲章(41年)とカイロ宣言(43年)にも違反した国際犯罪だ。

 

北海道根室市内に立つ北方領土返還要求の啓発のための広告塔=2月3日(大竹直樹撮影)

 

日本外交には、ソ連崩壊前後だった90年からの3年間、ヒューストン、ロンドン、ミュンヘンと続いたG7サミットで、北方領土問題の解決を支持する議長声明や政治宣言を採択させた実績がある。しかし、その後はこの問題を国際化する戦略がみえない。

 

ウクライナのゼレンスキー大統領はこの1年間、無辜(むこ)の国民に多くの犠牲をもたらしたロシアの暴虐を耐え抜くとともに、9年前に強制併合されたクリミア半島を含む「全領土の奪還」に不退転の覚悟を示している。

 

ゼレンスキー氏が北方領土問題にも目を向けていることを忘れてはならない。昨年10月には「北方領土はロシアの占領下に置かれているが、ロシアには何の権利もない。私たちはもはや行動すべきだ」との大統領令に署名した。

 

日本はこの心強い援軍に全く応えていない。ゼレンスキー政権は昨年8月、クリミア奪還をテーマとするオンラインの国際会議を開き、約60カ国・機関の代表が参加した。ここで演説した岸田首相は北方領土問題にひと言も触れず、世界に共闘を働きかける絶好の機会を逃した。不作為による失態である。

 

 

「不作為」を繰り返すな

 

同様に猛省すべきこととして想起されるのは、福田康夫政権時の2008(平成20)年に開かれた北海道・洞爺湖サミットだ。このときはロシアも含むG8だったので当時のメドベージェフ露大統領も参加した。だが、四島の目と鼻の先でのサミットだというのに議長国の日本は全体会合で北方領土問題を提起せず、日露首脳会談でも何の成果も得られなかった。

 

腰の据わらない日本外交はクレムリンに完全に見透かされ、2年後の菅直人政権時には、同大統領がソ連・ロシアの指導者として初めて北方領土(国後島)に足を踏み入れる暴挙に至った。

 

Northern Territories
令和5年「北方領土の日」祈念大阪府民大会で講演する神戸学院大の岡部芳彦教授 =2月7日午後、大阪市北区の大阪市中央公会堂(永田直也撮影)

 

ウクライナからの連帯の意思に応えることは、こうした負の歴史を断ち切ることになる。岸田政権には四島返還をテーマとする国際会議やシンポジウムなど具体的な行動を起こしてもらいたい。

 

現在のプーチン政権は憲法改正で「領土割譲禁止」をうたっている。ウクライナ侵攻後は日本との平和条約交渉を一方的に中断してビザなし交流も打ち切り、国後、択捉では大規模軍事演習を行うなど強硬姿勢をとっている。

 

一方で長引くウクライナ侵略はロシアの国際的孤立を深め、国内の経済・社会を疲弊させた。ソ連が崩壊したときのように国家的な衰退へと向かうことは十分にあり得よう。「そのとき」にどう備えるか。日本はあらゆる事態を想定し、領土を取り戻す戦略を練り上げなくてはならない。

 

 

2023年2月7日付産経新聞【主張】を転載しています

 

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