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山口県下関市を出港した捕鯨母船「関鯨丸」は5月25日、寄港した東京港から東北・北海道沖に向かい初漁に臨んだ。関鯨丸は73年ぶりに建造された捕鯨母船で、南極海まで到達可能といった最新鋭の技術を搭載。捕獲海域は排他的経済水域(EEZ)で頭数も限られ、鯨肉の消費低迷など苦境続きの商業捕鯨だが、鯨食文化の持続と食料安全保障に向けた一歩として期待されている。
関鯨丸は共同船舶(東京都中央区)が、先代「日新丸」の老朽化に伴い建造。約75億円を投じ、今年3月に完成した。母港は近代捕鯨発祥地の下関市だ。
捕鯨は基地式と母船式の2つに大別される。基地式は和歌山県太地町などで行われ、主に沿岸を漁場とし陸上で解体加工する。関鯨丸は母船式の主力で、遠洋に長期間繰り出し船上で解体加工を行う。
関鯨丸は、縄文時代から続く日本の捕鯨に新たな可能性をもたらす能力を有する。全長113メートル、総トン数9299トンで、南極海にも到達可能な航続能力を備える。これに加え、船尾に設けられた引き揚げ口は傾斜を緩やかにし、政府が捕獲対象とする方向で調整を進めるナガスクジラなど70トン級も引き揚げ可能だ。
さらに主機関を従来のディーゼルから電気推進システムに切り替えたことで、騒音を抑えつつ発進と停止を繰り返す漁業でのコストをカット。冷凍コンテナも40基整備し、漁や部位ごとの冷凍冷蔵保存ができるという。
一方で乗組員の環境も大幅に改善。定員100人の乗組員には個室を完備し、解体作業も室内で可能になり、かつてのように炎天下の甲板で行う必要がなくなった。
「これから30年は供給責任を果たせる」。共同船舶の所英樹社長は4月の完成披露の際、こう胸を張り「母船式捕鯨を未来永劫(えいごう)続けるきっかけにしたい」と力を込める。
ただ、こうした先進的な取り組みの一方で、鯨肉の消費が低迷するなど課題もある。
昨年11月、イワシクジラの尾びれ付け根あたりの希少部位・尾の身は過去最高となる1キロ80万円の値が付いた。下関市立大の岸本充弘教授(捕鯨産業史)は「関鯨丸への投資の減価償却の必要もあるだろうが、一部で高値を記録するだけでは捕鯨の維持は難しい」と懸念を示す。
さらに「戦後の学校給食の郷愁だけでは厳しい。若い人はクジラの味も知らず、値段が高い印象しかないのも現実」と指摘。その上で「皮や骨までクジラの全てを活用してきたのが日本文化。今後の日本人にとって重要なタンパク質源でもあるだけに、そうした意味合いをもっと政府は発信すべきだ」としている。
「外圧」に翻弄された商業捕鯨…遠洋操業に依然高い壁
73年ぶりに建造された捕鯨母船「関鯨丸」の操業開始は、鯨食文化の持続や食料安全保障の観点からも期待が高まる。一方で、商業捕鯨は国際捕鯨委員会(IWC)の規制や反捕鯨団体の圧力などに翻弄されてきた。
「歩み寄りがない」「異なる意見や立場が共存する可能性すらない」。国際社会に対し、あまり主張しないとされる日本がIWCにきっぱり脱退の意志を告げたのは2018年12月だった。
IWCに加盟したのは発足から4年目となる1951年にさかのぼる。敗戦後の食料難もあり、給食などを通じ全国的に鯨食が文化として根付いていった時期だ。
だが、高度経済成長とともに牛豚鶏肉に消費傾向は移行した。そうした中で1982年、IWCは商業捕鯨の一時停止を決定。米国の圧力で日本の異議も撤回され、87~88年に沿岸などを除いた商業捕鯨を中止した。
反捕鯨団体からの抗議も相次ぐようになり、捕鯨続行を求める日本代表団に「クジラの血だ」と赤インクがかけられ、デモでは日の丸が燃やされたこともあった。さらに国内消費の落ち込みに加え、南極海での調査捕鯨は商業ベースで成り立たず、窮地に追い込まれた。
IWCの議論を正常化させようと日本は動いたが、「クジラは神聖な動物」であり、「捕鯨は現代社会には必要ない野蛮な行為」とする反捕鯨勢力との距離を埋めきれなかった。
2014年には国際司法裁判所(ICJ)で「IWCはクジラを守るための機関」とするオーストラリアに敗訴。南極海での調査捕鯨中止を命じる判決を下され、生息数など科学的根拠を示し捕鯨を求める日本の働きかけは実らず、IWC脱退を余儀なくされた。
関鯨丸は南極海など遠洋で大型のクジラを捕獲できる能力を備えるが、排他的経済水域(EEZ)外で本領を発揮するには、高い壁が立ちはだかる。
消費量低迷で料理店に危機感
貴重なタンパク源として、敗戦後の食糧難を救った鯨肉。昭和37年度には、国内の消費量が約23万トンに達した。その後の調査捕鯨時代は数千トンで推移。商業捕鯨再開後の直近数年も2千トンほどで、ピークの100分の1にとどまっているのが現状だ。
こうした中、関鯨丸の操業開始を受け、大阪市西区の鯨料理店「むらさき」のオーナー、今川義雄さん(81)は「冷凍冷蔵や航行の技術が進化していると聞いた」と期待を寄せる。一方で、「供給はあっても、需要がなければ」と不安はぬぐえない。
50代以上は鯨肉の味に親しんだ「くじら世代」だが、若い世代にはなかなか魅力が伝わっていないと指摘する今川さん。「このままでは鯨肉の食文化が絶えてしまう」と危機感を募らせる。
だが、今川さんも手をこまねいているだけではない。魅力を伝えるターゲットを、増加するインバウンド(訪日外国人客)に向ける。外国人インフルエンサーによるイベントを開催するなど、反捕鯨のイメージが強い海外の人たちの印象を変えているという。
筆者:五十嵐一、木津悠介(産経新聞)