シカによる森林の過密化と、政治的停滞による対策の遅れの中で、日本オオカミ協会は、オオカミの再導入によって生態系の均衡を回復させるべきだと主張している。
Wolf 1-min

グレイウルフ (Wikimedia Commons)

This post is also available in: English

最近、札幌にある北海道大学植物園を訪れた際、筆者は二つの印象的な姿の前に立ちすくんだ。絶滅したエゾオオカミとニホンオオカミの剥製である。ガラスケースに収められたその姿は、まるで時が止まったかのように静止しており、かつて日本の森林を支配していた種の亡霊のようであった。しかしながら、その不在は決して無言ではない。

ここ数十年で、シカやイノシシ、さらにはクマの個体数が日本全国で急増している。これらの動物は生態系を乱し、農作物に被害を与え、人里近くにまで出没するようになっている。

このような状況の中、日本オオカミ協会(JWA)は大胆な提案を行っている。それは、オオカミを再び日本に呼び戻すというものである。

ニホンオオカミの剥製(提供:東京大学大学院農学生命科学研究科/農学部)

発想の契機

JWAは1993年に設立された。設立者は当時、東京農工大学で教鞭を執っていた丸山直樹准教授である。現在、同協会の理事を務める大槻国彦氏によれば、この発想は丸山氏がポーランドで開催された会議に出席したことが契機となったという。

「彼は偶然、草原でオオカミを目にしたのです」と大槻氏は語った。当時、丸山氏は日本の森林におけるシカの過剰繁殖の影響について研究していた。その一度の遭遇によって、彼の研究には「自然の捕食者」が欠けていることに気づいたのである。丸山氏はオオカミこそが生態系の均衡を回復する鍵であると確信し、日本に戻ってから同じ志を持つ研究者たちを集め、JWAを設立するに至った。

世論の変化と長い道のり

「最初は、本当にゼロからの出発だった」と大槻氏は語る。日本におけるオオカミ再導入の考えは、当初、懐疑と恐怖をもって迎えられた。多くの人々にとって、オオカミとは昔話の中の悪役であり、過去に置き去りにすべき危険な獣だったのである。

しかし、長年にわたる協会の粘り強い活動は、確かな成果を上げてきた。2006年から2016年の10年間で、オオカミ再導入に賛成する人の割合は17.4%から43.3%に上昇した。同期間中、反対の割合は30.2%からわずか11.0%にまで減少している。これらの数字は、協会が展開してきた広報活動——―書籍、シンポジウム、インターネットによる発信、教育キャンペーン——―の累積的な効果を示していると大槻氏は分析する。

とはいえ、ここ数年は進展が停滞している。「2016年以降、支持率は頭打ちになっている」と大槻氏は語る。「現在、最大の障壁は政府」。日本の環境省は依然としてオオカミ再導入に否定的な立場を取っており、政治的な意思がなければ、JWAの提案は実現に至らない。「我々は、今こそ政治的なロビー活動が必要な段階に入ったと考えている。最終的には、国を動かさなければならないのだ」。

大阪・天王寺動物園のチベットオオカミ(提供:天王寺動物園)
Advertisement

捕食による均衡の回復

オオカミが戻ってくることは、日本の環境にとって何を意味するのか。大槻氏はこれを生態学的な観点から説明している。現在、特にニホンジカおよびエゾシカの個体数が増加し、森林や農地に深刻な被害をもたらしている。政府は狩猟枠の拡大によって対応しているが、その効果は限定的である。

オオカミは生態系の頂点捕食者であり、シカやイノシシの数を自然な形で抑制することによって、より持続可能な解決策を提供し得る存在である。

「食物連鎖の自然な秩序を回復することで、植生の再生が促される」と大槻氏は述べている。それによって、鳥類や小型哺乳類の生息が回復し、土壌浸食が抑えられ、やがて生態系全体が徐々に息を吹き返すことになる。「最終的には、健全な森林システムおよび山・川・海のつながりの回復に寄与すると考えている」。

オオカミが戻る可能性のある地域

では、オオカミの再導入が現実的に可能な場所とはどこなのか。日本オオカミ協会によれば、北海道・本州・四国・九州の山岳地帯は、いずれも技術的には適地である。オオカミは本来、人間を恐れる性質を持っており、海外から導入された場合でも、人の多い地域を避ける傾向があると大槻氏は述べている。

具体的な候補地としては、知床、大雪山系、日本アルプス、紀伊半島、中国山地、阿蘇山などが挙げられている。

これらの地域はいずれも、複数の群れを維持するのに十分な餌資源と面積を有しており、一つの群れにつき100~300平方キロメートル程度の縄張りを確保できる。たとえ観光客が訪れる国立公園や、過疎化が進む農村地域であっても、人間の活動が大きな障害になるとは限らない。

「日本の集約的な畜産モデルが維持されている限り、オオカミによる家畜襲撃はまれであると考えられる」と大槻氏は説明する。ただし、リスクを軽減するための制度整備は不可欠であり、「家畜保護のための補助金や補償制度を整えることが、農家の安心につながる」とも述べている。

さらに重要なのは、地理的条件だけではない。「最終的に再導入地を決定する上で、地方自治体の同意と政治的判断が大きく影響する」と大槻氏は強調する。「だからこそ、現時点では具体的な場所を我々の側から明言することはできないのである」。

Advertisement

誤解を解く

依然として、国民の恐怖心は大きな課題である。「最大の誤解は“恐怖”であり、我々はこれを『赤ずきん症候群』と呼んでいる」と大槻氏は語る。多くの人々は、オオカミの再導入を外来種の導入と混同しており、オオカミが生態系を回復させるどころか破壊するのではないかという懸念を抱いている。

こうした意識を変えるために、日本オオカミ協会はあらゆる手段を駆使してきた。書籍、講演会、展示、アート、ソーシャルメディアを活用して啓発活動を行っている。特に注目すべき出版物として『オオカミ冤罪の日本史』(インプレス刊)がある。この書籍は、「オオカミがかつて人間にとって危険な存在であった」という通説を明確に否定している。

ニホンオオカミの剥製標本(提供:国立科学博物館)

さらに協会は、事故発生率の統計や、欧米における研究成果も共有している。また、オオカミを主人公とする児童向けの物語も制作している。「すでにオオカミと共存している地域の声を紹介している」と大槻氏は述べている。

海外から学ぶ

日本は、米国のイエローストーン国立公園や欧州の事例に続くことができるのか。大槻氏は、それは可能であると考えている。1990年代に実施されたイエローストーンへのオオカミ再導入は、しばしば成功例として語られている。オオカミが生態系の均衡を回復させ、ワピチ(キジリジカ)の過剰採食を抑制し、植物や動物の多様な生命が再び繁栄するようになったのである。

一方、欧州の事例は異なるが、同様に価値がある。1979年の「ベルン条約」によって保護された欧州のオオカミは、隣接する国々から自然に拡散し、かつての生息地へと回帰している。

「これは厳密には再導入ではなく、“カムバック(自然回復)”に近い」と大槻氏は述べる。そして、日本が模倣できる枠組みとして、以下のような点を挙げた。法的にオオカミを保護すること、被害に対する補償制度を設けること、個体数が安定した後には管理された狩猟を認めること。さらに、「オオカミが危険ではないことを説明するウェブサイトなどを通じた啓発活動も非常に重要である」と語った。

Advertisement

なぜオオカミが重要なのか

最後に筆者は大槻氏に尋ねた。オオカミの再導入は、日本にとって生態学的側面にとどまらず、文化的・精神的にどのような意味を持つのか、と。

「それは生物多様性にとって大きな一歩となる」と大槻氏は語る。日本は国際環境NGO「コンサベーション・インターナショナル」により、生物多様性ホットスポット(豊かだが危機に瀕している生態系)に分類されている。「オオカミは、植生や鳥類、昆虫、土壌生物の衰退を食い止め、さらには河川やダムにおける堆積物の蓄積を減少させる助けにもなり得るのだ」。

文化的にも、かつてオオカミは日本で神聖な存在として崇められていた。埼玉県の三峯神社など、今もオオカミを祀る神社が存在し、人間を守り導く存在として語り継がれている伝承も多い。「これらの物語は、オオカミがかつて豊かな精神世界の一部であったことを示している」と大槻氏は説明する。オオカミの再導入は、その関係性を再び呼び覚ます契機となるかもしれない。

現代社会において均衡が失われつつある今、オオカミの遠吠えは、単なる種の生存を超えた意味を持ちうる。それは、日本の「生態的な魂」を取り戻すための第一歩となる可能性がある。

そして何よりも深い意義として、オオカミの再導入は、人間が自然とどう向き合うかという根源的な問いを突きつけることになる。「オオカミがシカを狩る姿は、ある人々にとっては残酷に映るかもしれない」と大槻氏は言う。「しかしそれは、自然の法則を思い出させてくれる。生命とは何か、人間が自然と調和して生きるとはどういうことかを見つめ直すきっかけになるのだ」。

筆者:ダニエル・マニング(JAPAN Forward記者)

This post is also available in: English

コメントを残す