戦後80年の夏、石破茂首相に求められているのは、首相見解の表明ではない。靖国神社へ参拝することだ。そして、参院選挙で示された民意を尊重して辞任を表明することである。
Shigeru Ishiba

首相官邸に入る石破茂首相=8月1日午前(春名中撮影)

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戦後80年の夏、石破茂首相に求められているのは、中国などの反日宣伝を助長しかねない首相見解の表明ではない。

日本を守ろうと命を捧(ささ)げた戦没者(英霊)を慰霊、顕彰するために靖国神社へ参拝することだ。そして、参院選挙で示された民意を尊重して辞任を表明することである。

石破首相は4日の衆院予算委員会で、「形式はともかくとして風化を避けるために発出がどうしても必要だ」と述べ、先の大戦をめぐる首相見解の提示に意欲を示した。6日の会見では、安倍晋三首相(当時)の戦後70年談話などに言及し、「どうすれば二度と戦争を起こさないかという仕組みについて、談話を踏まえ考えてみたい」と語った。

靖国神社

共産党独裁の中国では反日ムードが高まっている。今年9月には北京で、抗日戦争勝利80年を記念する軍事パレードが催される。

石破首相は先の大戦を侵略だったと両断する自虐的な史観の持ち主だ。どのような時期、形式であれ、首相が見解を表明すれば、中国や韓国、北朝鮮、内外の左派勢力による反日宣伝を勢いづかせかねない。

戦後70年談話には、人種差別撤廃が先の大戦の目的の一つだったことに言及しないなど不十分な点はあった。そうであっても、積極的平和主義の道を進んでいくことや、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という強い問題意識があった。

石破首相が「見解」を示せば70年談話の苦心を踏みにじることになる。それは日本の名誉と国益を大きく損なう。

そもそも、戦後の歴代首相は長く、10年毎(ごと)に政治的意味をもたせた談話を発出してこなかった。戦後半世紀も経(た)って社会党の村山富市首相(当時)が50年談話を出してから政治問題化するようになったのである。

二度の国政選挙で民意を得られなかったのに辞意を表明しない首相は無責任のそしりを免れない。そのような首相の言葉に何の重みがあるのだろう。

見解にこだわるなら辞職してから大いに示せばよい。何の制約もなく自虐的な史観を披露できよう。それが国民に受け入れられるかはまた別の話だが。

2025年8月7日付産経新聞【主張】を転載しています

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