
北海道・根室半島の納沙布岬(左下)沖に広がる北方領土。歯舞群島(中央)、色丹島(右上)、国後島(左奥)。はるか右奥にうっすらと択捉島が見える
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80年前の8月9日、ソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦した。満州に続き南樺太や朝鮮半島、千島列島に一方的に侵攻し、将兵だけでなく無辜(むこ)の民間人も殺害し凌辱(りょうじょく)した。
北方領土の不法占拠や戦後のシベリア抑留に連なる無法の極みである。ソ連の蛮行により、終戦期から戦後にかけて日本人が味わった辛苦は計り知れない。

日ソ中立条約は1941年4月に締結され、有効期間は5年だった。相互の不可侵や、一方が第三国から攻撃を受けた場合に他方が中立を守ることを定めた。モンゴルと満州国の領土保全も互いに尊重するとした。日本が条約を守ったからこそ、ソ連はナチス・ドイツとの激突に集中し、勝利できた。
それにもかかわらずソ連は中立条約を一方的に破棄し、広島に原爆を投下されていた日本に不意打ちを喰(く)らわせた。今日のロシアは中立条約に違反した事実を隠して「対日戦勝」を喧伝(けんでん)している。言語道断だ。

日本が8月14日にポツダム宣言を受諾してもソ連は攻撃を続けた。昭和天皇は15日に終戦を告げる玉音放送を行った。だが、ソ連軍は18日、千島列島に侵攻し、日本が降伏文書に署名した後の9月5日になって北方領土の占拠を終えた。火事場泥棒である。
この間、満州での葛根廟(かっこんびょう)事件や北海道留萌沖での樺太からの引き揚げ船の撃沈をはじめ、ソ連軍は民間人も標的にした。日本人引き揚げの過程では中国残留孤児も生まれた。
満州や朝鮮などから約60万人とされる日本軍将兵や民間人がシベリアなどソ連各地やモンゴルに連行され、強制労働や飢えで約6万人が死亡した。この抑留は、武装解除後の日本軍将兵らを祖国に帰還させるとしたポツダム宣言にも国際法にも違反する行為だった。
ソ連・ロシアにとって、国際合意や国際法は破るために存在しているかのようだ。

これは今日のウクライナ侵略にも通底する。ウクライナは94年のブダペスト合意(覚書)で核兵器放棄と引き換えに米英露から「安全の保証」を得たが、ロシアは2014年にクリミア半島を併合し、22年にはウクライナに全面侵攻した。ロシアの不法行為に目をつぶるべきではなく、約束破りを続けるこの国の本質を忘れてはならない。

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2025年8月9日付産経新聞【主張】を転載しています
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