80回目の終戦の日を迎えた。日本は大東亜戦争と呼称した先の大戦で310万人もの同胞を喪った。全ての御霊安らかなれと心からの祈りを捧げたい。
Yasukuni Shrine rs

靖国神社の夕景。8月には多くの参拝客が訪れる=東京都千代田区

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全ての御霊(みたま)安らかなれと心からの祈りを捧げたい。

80回目の終戦の日を迎えた。日本は大東亜戦争と呼称した先の大戦で310万人もの同胞を喪った。

陸に、海に、空に、日本人は祖国や家族を守ろうと懸命に戦ったが敗戦を迎えた。未曽有の大戦を語り継ぎ、戦没者を慰め、顕彰したい。それが子孫としての務めだが、語り継ぐ姿勢と内容が問題となる。

「もうこの上生きてゐることが苦しくてたまらないやうな気がします。どうか許して下さい」

「今更ながら若き特攻隊勇士の尊い姿が涙の瞼に浮(うか)んで来ます。血に殪(たお)れたあなた方の雄々しい顔が迫つて来ます。戦災で殉じた人々のうらめしい形相が目に浮んで来ます。声なき民衆の声が聞(きこ)えて来ます。遠く外地に切離(きりはな)された同胞将兵の傷ましい姿が針のやうに胸を刺します」

「決してあなた方の尊い血を汚しはしません」

これらは終戦から2日後の産経新聞の社説「英霊に詫びる」の一節だ。論説担当の記者は、行き場のない思いを、極めてリアルな存在だった「あなた方」に向けて綴ったのだろう。

大空襲後の東京100,000 mostly civilian deaths.

終戦の日が近づくと戦争報道や論説が溢れかえるが終戦直後のそれと比べ迫力には大きな差がある。戦後80年の今、語り継ぐには相当な努力を要するということだ。

その上、改めるべき深刻な問題もある。

多くの報道が日本の戦いを侵略と断罪し、異なる見方につながる史実を殆(ほとん)ど伝えてこなかったことだ。

昭和18年10月の学徒出陣は悲劇として報じても、翌月に東京で開かれた世界初の有色人種サミット「大東亜会議」が人種平等を訴えた歴史的意義は取り上げないのが戦後の日本だ。

大東亜会議代表記念撮影=国会議事堂前

人種平等に力尽くした

日本の敗色が感じられる時期だったが、オブザーバーの自由インド仮政府を含めアジア7カ国の元首や首相、王族が集まった。日本の強制にすぎないとみるなら当時のアジアの人々の人種差別や欧米植民地支配への憤りを分かっていない。

この2年前の米英の大西洋憲章は人民に政府の形態を選ぶ権利があるとしたが、チャーチル英首相(当時)は、この権利は欧州だけのものでアジア・アフリカの植民地には適用しない立場だった。

近現代の日本が世界に与えた影響の最たるものは人種平等への寄与だった。

有色人種の国が白色人種の国に初めて近代戦争で勝った日露戦争は、アジアやアフリカの人々を励まし、独立、近代化運動を刺激した。第一次世界大戦後のパリ講和会議で日本は、国際連盟規約起草で人種差別撤廃条項を提案した。この世界初の人種平等提案は欧米諸国から出た反対で成立しなかったが、有色人種の国による異議申し立ては世界史的出来事だった。

日本がアジア解放や人種平等を掲げて戦ったのにはこのような経緯(いきさつ)がある。

3年前の本稿で紹介した話を繰り返したい。

昭和30年に日本は、インドネシアで開かれた第1回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)に招かれた。「(独立は)日本のおかげだよ」「日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある」と、日本代表団は各国代表団から大歓迎された。代表代理を務めた加瀬俊一元国連大使の証言である。

独立したばかりの国々の代表がわずか10年前の日本の戦いを独立に貢献したという文脈で語っていた。

一方、人種平等を掲げて戦った話は戦後日本で重んじられず、日本の非道さ、無謀さを言い募る話が多く報じられてきた。

「戦後平和主義」の限界

これに沿って戦没者を気の毒な被害者とのみ見たり、侵略者だと断罪したりするようでは、戦没者の御霊に祈りは届くまい。

戦争が多くの犠牲を生む悲劇であるのは間違いない。それでも戦争を含め国の歩みには多様な意味合いがある。惰性で続く一方的な日本断罪から決別し、先人の歩みをバランスよく知る努力を重ねたい。

今年は日清戦争戦勝130年、日露戦争戦勝120年の節目でもある。その意味合いも考えたいものだ。

尖閣諸島周辺海域をを脅かす中国海警局の艦船

日本は今、厳しい安全保障環境にある。平和を守る抑止力を高めるには防衛力増強だけでは足りない。国民と自衛隊員が先人の奮闘を知り、見倣う心を持つことが欠かせない。必要であれば戦う気概まで否定する「戦後平和主義」では平和を守れない時代である。

現職首相の靖国神社参拝は平成25年12月の安倍晋三首相(当時)以降途絶えている。日本の首相や閣僚が英霊に額(ぬか)ずく姿をみたい。外国の干渉や左派勢力の不当な非難に臆してはならない。参拝は英霊と日本国との約束だからである。

筆者:榊原智(産経新聞論説委員長)

2025年8月15日付産経新聞【主張特別編】を転載しています

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