
シーラクリフ(左)と桜井一宏社長
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着物と酒の創造的対話
日本で最も革新的な酒造りを実践する「獺祭」の社長、桜井一宏がこの夏、都心のスタジオで着物文化の世界的発信者である英国出身のシーラ・クリフと対談した。二人は、酒や着物づくりに息づく職人技だけでなく、伝統をうまく生かしながらも変革や実験を通じて楽しみたいという共通の思いを口にした。日本文化における酒の役割とは何か、海外でも醸造されるようになった酒がどんな進化を遂げるのか、そして、伝統を生かし守りながら日本酒の文化を前進させるにはどうしたらいいのか―。異なる日本文化の変革に挑む二人の対話から見えてきたものとは?
日常の中の日本文化
着物文化を世界発信するクリフが、酒について知識がないことを伝えると、桜井は丁寧にこう説明した。「日本酒は単なる嗜好品ではなく、神事や婚礼、祭礼に欠かせない文化の一部で、日本人の暮らしと風土に深く根ざしてきた存在だ」。

説明を聞いたクリフは、酒と着物の共通性に着目した。「染料や織物も、土地に根ざした素材から生まれる。日本酒もまた、土地と切り離せない文化だ」。
桜井は「着物と同じく、日本酒もまた日本の水、気候、文化や人々との関係性から生まれたもので、それが日本酒の“個性”だ。しかし、それは不変でなければならないという意味ではない」と応じた。
実際、「獺祭」は変化し、進化することで成長してきた。
ニューヨークで醸す
「獺祭」は、保守的な酒造業界においても特異な存在である。桜井は伝統を重んじながらも、自ら変革への挑戦を続けている。「獺祭」は一昨年秋、アメリカ・ニューヨークに酒蔵を開設し、アーカンソー州で育てられた山田錦で酒造りを実践している。
「アメリカの米作りは、日本とはまるで異なる。アメリカの農家は飛行機で種を撒く。だが、そこが大事なのではない。大事なのは彼らは、育成が難しい山田錦を学びながらしっかり育ててくれていることだ」と桜井は語る。
酒づくりに欠かせない「水」についても、「水質が異なれば発酵にも影響するが、それが新たな味わい香りを生む可能性もある。重要なのは違いを“どう活かすか”だ」と続けた。
クリフは「フランス料理が和の食材に適応するように、日本酒も土地の食材に応じて進化できる」と指摘し、桜井も「まさにその通りだ。私たちも自分たちを料理人と同様なものとの想いがあり、我々も本質を保ちながら妥協するのではなく、創造する」と応じた。
守るべきは“本質”
「日本酒において何を守るべきか」と問われた際、桜井は即答しなかった。「本質を守りつつ、同時に進化させねばならない。現在“日本酒”と呼ばれるものも、100年前、1000年前とは異なる。変わってきたからこそ、今がある」。

この柔軟な姿勢は、着物にも通じる。時代や地域によって様式が異なったように、日本酒も時代と共に変化してきた。
「最も重要なのは、美味しいと思ってもらえる日本酒を造ること。その上で、寿司と楽しもうが、イタリアンと合わせようが、冷やして飲もうが温めて飲もうが、それは飲む人の自由だ。発見することこそが文化の楽しみだ」と桜井は語る。
固定観念を打ち砕く
海外において日本酒に対する誤解は根強い。欧米では「熱燗で飲む強い酒」というイメージが定着していた。しかし、「獺祭」を口にした人々の反応は一様に驚きに満ちているという。
「フルーティで上品な甘みを感じて、“こんな日本酒があるなんて知らなかった”という声が多い。それが最も嬉しい反応だ」と桜井。
桜井の目的は、単に輸出量を増やすことではない。「まずは笑顔で飲んでもらいたい。固く真面目な文脈だけでなく、楽しさや喜びが先にあり、それと共に文化を伝える。笑顔は世界共通の言語だ」。
文化とは“遊び”である
クリフと桜井に共通するのは、「文化は遊びの中でこそ生きる」という信念である。革新や失敗を恐れず、新たな表現や試みに挑戦することが、文化を成長させ、持続性を担保する。
「着物を自由に着ることも、海外で日本酒を造ることも、文化を薄める行為ではない。むしろ文化を人々の手に取り戻す行為だ」とクリフは語る。
「文化を厳格なルールで囲い込むのではなく、誰もが参加できる空間として開くべきだ」。二人の共通した思いだ。
未来を創る
山口県の人口わずか20人の小さな村で生まれた「獺祭」は、やがて東京へ、そして世界へと進出した。今や、現地での経験を通じて、さらに成長を続けている。
「文化の未来は、固定された規範の中ではなく、動き続ける関係性の中にある。共有し、変化を受け入れ続けることで、日本酒はその根をより深く張っていくだろう」。桜井は強調した。
対談の終わりに二人は、山口で造られた「獺祭 磨き二割三分」で乾杯した。その一杯には、過去と未来、そして世界をつなぐ想いが込められていた。

桜井もクリフも伝統の擁護者であるが、文化をガラスケースの中に閉じ込めることが正しいとは考えていない。むしろ人々に、伝統を自らのものとして作り上げる過程で遊び、時には失敗することさえも勧めているのである。
「本物らしさ」がしばしば厳格に管理される現代において、獺祭のメッセージは実に民主的である。文化は規則の中に生きるのではなく、大地と、人と、変化との関係性の中にこそ息づくというのがその信念である。
結局のところ、日本酒も着物も、日本が世界に一方的に見せるだけのものではない。それらは世界中の人々が身にまとい、味わい、自らのものとして受け入れるために開かれている文化なのである。
(敬称略)

桜井 一宏(さくらい・かずひろ)
山口県の酒蔵、株式会社 獺祭の代表取締役社長。2025年6月1日に社名を旭酒造から変更した「獺祭」は、世界的に最も知られる日本酒ブランドの一つ。品質と職人技に根ざしながらも、ニューヨークに醸造所を開設、海外事業に注力するなど、グローバルな視点で日本酒の新たな可能性を切り拓く先駆者。
シーラ・クリフ
英国出身の着物スタイリスト、大学教授、文化大使。30年以上東京に在住し、講演や著書、メディア出演などを通じて「生きた着物文化」の普及に尽力。着物の魅力や着物ファッションを世界に発信している。
※この記事と動画は、株式会社 獺祭の協力で作成されました。
著者:ダニエル・マニング
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