
40年前の日航機墜落事故現場で捜索救助活動を行う陸上自衛隊員ら(陸自提供)
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8月12日で発生から40年となった日航機墜落事故を巡り、米ボーイング社は産経新聞の取材に応じ、事故原因とされる接合板(スプライス・プレート)を2枚使用した機体の修理ミスが起きた理由について「設置することが構造上困難だったため」と明らかにした。当時の旧運輸省航空事故調査委員会の調査や、警察の捜査では担当者への聞き取りができず、2枚のプレートを使用した修理ミスが起きた理由は判明していなかった。

1985年8月に発生し、乗客乗員520人が犠牲になった単独機として世界最悪の航空機事故は、原因のさらなる究明に向け一歩踏み出した。
墜落した機体はボーイング747型機。墜落事故の7年前、別の事故で機体後部を損傷し、ボーイングが修理した。機内の気圧を保つドーム状の部品「後部圧力隔壁」について、修理チームは下半分を新品に取り換え上半分と接合した。
このとき、接合部にあてるプレートが指示書では1枚だったのに対し、2枚に切断されたものが使用された。隔壁はプレートを挟む形で鋲留めされたが、本来の仕様より強度が7割に落ち込み、最終的に墜落事故につながったと事故調の報告書で結論付けている。
だが、2枚のプレートを使用した理由は長く判明していなかった。ボーイングは取材に「プレートを所定の位置に設置するのが難しく、2つに切り分けて設置しやすくした」と説明した。

ボーイングは昨年9月、日航機墜落事故に関するページを公開し、この内容を示していた。米連邦航空局(FAA)も、公式サイトで「隣接する構造物との複合的な湾曲のため設置が困難だった」と記載している。
当時、事故調の調査官として圧力隔壁を調べた斉藤孝一さん(80)は「事故後の40年間で初めて出てきた情報で、大変驚いている。整備員たちが安全のために知るべき非常に重要な情報だ」と述べた。
ボーイングは取材に際し、「ご遺族の皆さまに心よりの哀悼の意とおわびを申し上げます」と改めて謝罪した。

国交省、ボーイングに隔壁修理ミスの背景を確認
中野洋昌国土交通相は8日の閣議後会見で、原因となった後部圧力隔壁の修理ミスについて、米ボーイング社や米連邦航空局に対し、背景を明らかにするよう確認を進めていることを明らかにした。日本側にない情報を米側が把握していることが産経新聞の報道で判明したためで、長年の遺族の疑問の追究に国が動くことになった。
中野氏は会見で「航空局でボーイング社などの関係者に対し、事実関係の確認を行っている」と述べた。当時の旧運輸省航空事故調査委員会の調査とは別に、国交省が米側に事故原因を聞き取るのは初めて。
事故の原因調査は通常、事故調を前身とする国の運輸安全委員会の所管だが、調査が終了した事故については、航空安全を推進する立場で国交省が参考情報として調べる事例はあり、今回はこれに該当する。
中野氏は事故から40年が経過することを踏まえ、「教訓のひとつひとつを決して風化させることなく、さらなる安全を築き上げるため、引き続き航空に携わるすべての関係者と一丸となって、安全確保に取り組んで参りたい」と述べた。
遺族らでつくる「8・12連絡会」は「修理ミスについて、ひとつひとつ事実が分かっていくことによって、その背景を明らかにしていくことができるはずなので、さらに詳しく情報をオープンにしていってほしい」とコメントした。
犠牲者の冥福を祈る
日航ジャンボ機墜落事故の現場となった群馬県上野村の御巣鷹の尾根の麓を流れる神流(かんな)川では11日夜、遺族らが灯篭(とうろう)を流し、犠牲者の冥福を祈った。
灯篭流しは今回で31回目となり、遺族のほか、上野村役場や地元住民らも参加した。午後6時、雨が降りしきるなか、アコーディオンの音色が響きわたり、遺族らは事故で亡くなった家族へ向けたメッセージを添えて、灯篭を川面に浮かべた。

午後6時半ごろには、遺族らでつくる「8・12連絡会」の合図で黙禱(もくとう)。大小約200個の灯篭は川面を照らしながら静かに流れ、小さな光に遺族は祈りをささげた。流れゆく灯篭を見届けると、事故で亡くなった歌手、坂本九さん=当時(43)=の代表曲「上を向いて歩こう」を歌い上げた。
大阪府豊中市の西村文晴さん(76)は、義弟の小沢孝之さん=当時(29)=を事故で亡くした。事故発生から5日後に4時間かけて向かった山道は「今でも変わらない」と話す。近年、体力が衰え、足が遠のいていたが、40年の節目は来ると決めていた。西村さんは「これが最後かな」とつぶやいた。

孝之さんの息子、秀明さん(39)は事故の翌年に生まれ、現在は3歳の娘がいる。「母が一人で育ててきたと思うと、大変だったんだろうな…」。親世代の高齢化による事故の風化も懸念される。「自分の子供に伝えることが使命だ」と決意を新たにした。
12日には、遺族らが群馬県上野村にある現場「御巣鷹の尾根」を慰霊登山した。墜落地点の尾根に立つ「昇魂之碑」などで亡くなった人たちを追悼し、空の安全を祈願。「風化させない」との声が聞かれた。遺族が高齢化し、当時を知る日航社員もわずかとなる中、大惨事の教訓継承と安全確保に向けた航空各社の取り組みが問われている。
遺族らは、尾根の斜面に点在する墓標へ、亡き人を思いながら雨でぬかるんだ登山道を一歩一歩踏みしめた。時折手すりをつかみ、息を整えながら登る高齢者もいた。

「昇魂之碑」に集まり、黙祷。空の安全を願って鐘を鳴らし、子どもたちがシャボン玉を飛ばした。2011年の東日本大震災や14年の御嶽山噴火の遺族らも参加した。

兄の修司さん=当時(24)=を失った大阪府寝屋川市の会社員竹永利明さん(60)は、新しく作り替えた墓標の前で「40年が経過しても悲しみはなくならない。二度と事故が起こらないように願う」と手を合わせた。
筆者:織田淳嗣、宮崎秀太(産経新聞)
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