
終戦の日を迎え靖国神社を参拝する人たち=8月15日午後、東京都千代田区(松井英幸撮影)
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自民党総裁選に立候補した林芳正官房長官がフジテレビ番組で、靖国神社に祀(まつ)られている極東国際軍事裁判(東京裁判)の「A級戦犯」を分祀(ぶんし)したいという考えを示した。
林氏は「そういうこと(分祀)にしっかりと取り組み、皇室を含めてわだかまりなく手を合わせることができる環境をつくるのが政治の責任だ」と語った。
分祀にはいくつもの理由から賛同できない。その強制が日本にいさかいを生むことも分からないのか。翻意を求めたい。

日本の戦没者慰霊の中心である靖国神社の祭神は、陸海軍両省を継承した厚生省(当時)援護局が祭神名票を作り、神社側へ送付して合祀されてきた。
大東亜戦争(先の大戦)の終結はサンフランシスコ講和条約が発効した昭和27年4月だ。占領中の軍事裁判で多くの日本人が「戦犯」として死刑や禁錮刑になった。
だが、主権回復後の「戦犯」赦免を求める運動で4千万もの署名が集まった。国会は全「戦犯」の赦免を求める決議を重ねた。政府は連合国と交渉し服役中の「戦犯」の赦免を実現した。国会は恩給法や遺族援護法を改正し、全「戦犯」の刑死・獄死者の遺族と、釈放された「戦犯」の処遇を一般の軍人、遺族と同一にした。政府は「戦犯」を国内法上の犯罪者として扱わないこととした。
国会と政府が、戦没者や軍事裁判で命を奪われた同胞(昭和殉難者)の慰霊を全うし、軍事裁判服役者を援護してきたと分かる。厚生省が昭和41年に「A級」を含む戦争裁判刑死者の祭神名票を送り、53年に合祀されたのもその一環だ。

戦争をめぐる同胞の行動への評価と慰霊は別の話である。これを混同して、連合国の軍事裁判に依拠して死者に鞭(むち)打つような分祀論は日本にそぐわない。天皇陛下のご親拝はないが、勅使の参向(さんこう)は今も続いている。
中曽根康弘元首相や古賀誠元自民党幹事長らが過去に分祀を画策したが、神社本庁は祭神分離という意味の分祀は神社祭祀(さいし)上あり得ないと指摘し、立ち消えとなった。教義上も無理筋な分祀を政治が強いれば憲法上の「信教の自由」を侵害する。
中国は「A級戦犯」合祀を批判してきた。だが戦没者慰霊は国内問題であり、外国の干渉に迎合する分祀は論外である。
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2025年10月1日付産経新聞【主張】を転載しています
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